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東廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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ソウルにある関帝廟。 | ソウルにある関帝廟。 | ||
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宣祖33年、明の神宗皇帝の勅令が下され、経略・万世徳に勅書と金4000両が下賜された。 | 宣祖33年、明の神宗皇帝の勅令が下され、経略・万世徳に勅書と金4000両が下賜された。 | ||
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| + | (『京城府史』) | ||
2012年1月1日 (日) 時点における版
ソウルにある関帝廟。
宣祖35年創建。ソウルには三つの関帝廟(南廟・東廟・北廟)があったが、唯一現存するものである。 壬辰丁酉倭乱(文禄・慶長の役)での明軍の勝利は関羽の加護によるものとの信仰が広がった。
宣祖33年、明の神宗皇帝の勅令が下され、経略・万世徳に勅書と金4000両が下賜された。 35年に竣工し、皇帝より「顕露昭徳関公之廟」の勅額が下された。滅明後、清朝を憚ってこの額は下ろされた。
関羽を中心に祀り、右に関平、趙累、左に周倉、玉甫を祀る。 南廟の関羽像が塑像であるのに対し、東廟の関羽像は鍍金銅像である。
隆煕2年7月、宮内府による祭祀は廃絶となり、維持祭典は民間に委ねられた。隆煕3年4月10日、崇義廟を合祀。1913年(大正2年)、5月、北廟を合祀した。
(『京城府史』)