ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
十輪院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''十輪院'''(じゅうりんいん)は、奈良県奈良市十輪院町にある[[真言宗]] | + | '''十輪院'''(じゅうりんいん)は、奈良県奈良市十輪院町にある[[真言宗]]寺院。本尊は[[地蔵菩薩]]の石仏。[[元興寺]]の一院が起源とされ、元正天皇の勅願、朝野魚養の開基と伝える。[[真言宗醍醐派]]。山号は雨宝山。 |
== 歴史== | == 歴史== | ||
- | + | 霊亀元年(715)、元正天皇の勅願、朝野魚養を開基として創建したとする説の他、[[空海]]や[[聖宝]]の創建の説もある。 | |
- | 類例の少ない石仏龕を中心とする。花崗岩切石製で、高さ2.3m、幅3m、奥行2. | + | 類例の少ない石仏龕を中心とする。花崗岩切石製で、高さ2.3m、幅3m、奥行2.5m。奥壁に地蔵菩薩を彫り、左右の側壁には[[十王]]を配する。引導石とよばれる平石が置かれ、葬儀を行う場だったらしい。 |
- | + | 鎌倉時代前期、石仏龕を覆い、礼拝のための礼堂として現在の本堂が建てられた。本堂は灌頂堂とも呼ばれた。1283年成立の『沙石集』にも南都の地蔵信仰の霊場として近くの[[福智院]]と共に記述がある。十輪院の名称は『地蔵十輪経』([[玄奘]]訳)に基づくという(地蔵信仰の同名寺院は多い)。境内には本堂の他、御影堂、不動堂、朝野魚養の墓と伝える魚養塚などがある。鎌倉時代に作られた、春日曼荼羅や愛染明王曼荼羅を刻した石も珍しい。東京国立博物館に明治時代に移築された校倉造の経蔵(鎌倉時代)が現存。 | |
- | + | ||
(国史大辞典、日本歴史地名大系、日本大百科全書、世界大百科事典) | (国史大辞典、日本歴史地名大系、日本大百科全書、世界大百科事典) | ||
[[category:奈良県]] | [[category:奈良県]] |
2018年4月30日 (月) 時点における版
十輪院(じゅうりんいん)は、奈良県奈良市十輪院町にある真言宗寺院。本尊は地蔵菩薩の石仏。元興寺の一院が起源とされ、元正天皇の勅願、朝野魚養の開基と伝える。真言宗醍醐派。山号は雨宝山。
歴史
霊亀元年(715)、元正天皇の勅願、朝野魚養を開基として創建したとする説の他、空海や聖宝の創建の説もある。 類例の少ない石仏龕を中心とする。花崗岩切石製で、高さ2.3m、幅3m、奥行2.5m。奥壁に地蔵菩薩を彫り、左右の側壁には十王を配する。引導石とよばれる平石が置かれ、葬儀を行う場だったらしい。 鎌倉時代前期、石仏龕を覆い、礼拝のための礼堂として現在の本堂が建てられた。本堂は灌頂堂とも呼ばれた。1283年成立の『沙石集』にも南都の地蔵信仰の霊場として近くの福智院と共に記述がある。十輪院の名称は『地蔵十輪経』(玄奘訳)に基づくという(地蔵信仰の同名寺院は多い)。境内には本堂の他、御影堂、不動堂、朝野魚養の墓と伝える魚養塚などがある。鎌倉時代に作られた、春日曼荼羅や愛染明王曼荼羅を刻した石も珍しい。東京国立博物館に明治時代に移築された校倉造の経蔵(鎌倉時代)が現存。
(国史大辞典、日本歴史地名大系、日本大百科全書、世界大百科事典)