|
ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
雍和宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
| 2行: | 2行: | ||
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
| - | + | 即位前の雍正帝が宮邸とした雍親王府が前身。1694年に建てられた。雍正帝の即位後、1723年、宮邸の半分をチベット仏教寺院とし、残りの半分を行宮として残した。この時、雍和宮と改称した。1744年、乾隆帝が宮邸全体を寺院として改造され、皇居宮殿と同格とされた。 | |
| + | 正殿の他、天王殿、永佑殿、法輪殿、万福閣がある。また四学殿として薬師殿、数学殿、密宗殿、講経殿がある。最大の建物は万福閣で、1750年にダライ・ラマ7世が奉納した高さ18mの白檀の弥勒立像がある。 | ||
| + | |||
| + | 1966年からの文化大革命で被災した後、1981年に復興。文革前に北京には38寺のチベット仏教寺院があったがその中で唯一壊されなかった。当時、紅衛兵が寺を襲撃したが、住職の高全寿が直接電話で周恩来に報告。周恩来の使者がすぐに派遣し、事なきを得たという。 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
| + | *『東洋文庫 燕京歳時記 北京年中行事記』 | ||
*嘉木揚凱朝「文化大革命後のモンゴル仏教の様態―北京市雍和宮と承徳市普寧寺を中心として」[https://doi.org/10.20769/jpbs.16.0_83] | *嘉木揚凱朝「文化大革命後のモンゴル仏教の様態―北京市雍和宮と承徳市普寧寺を中心として」[https://doi.org/10.20769/jpbs.16.0_83] | ||
[[category:中華人民共和国北京市]] | [[category:中華人民共和国北京市]] | ||
2018年9月19日 (水) 時点における版
雍和宮(ようわ・きゅう)は、中国北京市東城区にある清朝皇室ゆかりのチベット仏教寺院。
歴史
即位前の雍正帝が宮邸とした雍親王府が前身。1694年に建てられた。雍正帝の即位後、1723年、宮邸の半分をチベット仏教寺院とし、残りの半分を行宮として残した。この時、雍和宮と改称した。1744年、乾隆帝が宮邸全体を寺院として改造され、皇居宮殿と同格とされた。 正殿の他、天王殿、永佑殿、法輪殿、万福閣がある。また四学殿として薬師殿、数学殿、密宗殿、講経殿がある。最大の建物は万福閣で、1750年にダライ・ラマ7世が奉納した高さ18mの白檀の弥勒立像がある。
1966年からの文化大革命で被災した後、1981年に復興。文革前に北京には38寺のチベット仏教寺院があったがその中で唯一壊されなかった。当時、紅衛兵が寺を襲撃したが、住職の高全寿が直接電話で周恩来に報告。周恩来の使者がすぐに派遣し、事なきを得たという。
参考文献
- 『東洋文庫 燕京歳時記 北京年中行事記』
- 嘉木揚凱朝「文化大革命後のモンゴル仏教の様態―北京市雍和宮と承徳市普寧寺を中心として」[1]