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江戸・金輪寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''金輪寺'''は、東京都北区にある[[真言宗]]寺院。[[王子神社]]別当。[[真言宗古義派]]の[[江戸触頭]]を務めた。明治初年に廃絶したが、後に復興。現在は[[霊雲寺]]を本山とする[[真言宗霊雲寺派]]。(参考:同名寺院[[金輪寺]])
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'''金輪寺'''は、東京都北区にある[[真言宗]]寺院。[[王子神社]]と[[王子稲荷神社]]の別当。[[真言宗古義派]]の[[江戸触頭]]を務めた関東五カ寺([[般若院]]、[[相模・金剛王院|金剛王院]]、[[荘厳院]]、[[八大坊]]、[[江戸・金輪寺|金輪寺]])一つだった。神仏分離で明治初年に廃絶したが、後に復興。現在は[[霊雲寺]]を本山とする[[真言宗霊雲寺派]]。東光院。山号は禅夷山。(参考:同名寺院[[金輪寺]])
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== 歴史 ==
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康平年間、源義家が東征凱旋の際に創建。
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天正年間、[[徳川家康]]が小田原真福寺の宥養を招いて中興。この時、[[新義派]]から[[古義派]]に変わった。
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[[高野山無量寿院]]末。1634年、王子神社の社殿と共に、伽藍を造営。子院、十二坊があった。
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1860年4月焼失。1868年、神仏分離で廃絶。
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1903年2月、子院の藤本坊が名前を継いだ。
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2019年8月13日 (火) 時点における版

金輪寺は、東京都北区にある真言宗寺院。王子神社王子稲荷神社の別当。真言宗古義派江戸触頭を務めた関東五カ寺(般若院金剛王院荘厳院八大坊金輪寺)一つだった。神仏分離で明治初年に廃絶したが、後に復興。現在は霊雲寺を本山とする真言宗霊雲寺派。東光院。山号は禅夷山。(参考:同名寺院金輪寺

歴史

康平年間、源義家が東征凱旋の際に創建。 天正年間、徳川家康が小田原真福寺の宥養を招いて中興。この時、新義派から古義派に変わった。 高野山無量寿院末。1634年、王子神社の社殿と共に、伽藍を造営。子院、十二坊があった。 1782年、飛鳥山の園地を管理するようになった。 1860年4月焼失。1868年、神仏分離で廃絶。 1903年2月、子院の藤本坊が名前を継いだ。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%83%BB%E9%87%91%E8%BC%AA%E5%AF%BA」より作成

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