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五流太法院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*定仁?()<>:『熊野長床宿老五流』に名がある。 | *定仁?()<>:『熊野長床宿老五流』に名がある。 | ||
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*増隆()<>:1582年(天正10年)から在京。1589年(天正17年)「堪忍領」を聖護院から認められた(「天和三年書上」)。 | *増隆()<>:1582年(天正10年)から在京。1589年(天正17年)「堪忍領」を聖護院から認められた(「天和三年書上」)。 | ||
*増誉()<>:1664年の増誉の名による許状が伝わる。 | *増誉()<>:1664年の増誉の名による許状が伝わる。 |
2020年8月15日 (土) 時点における版
五流太法院は岡山県倉敷市林にあった修験道寺院。五流尊瀧院関連旧跡。太法院、大法院。
701年(大宝1年)創建。開山は義玄。中興は隆禅。
組織
歴代住職
- 義玄()<>:
- 隆禅()<>:
- 定仁?()<>:『熊野長床宿老五流』に名がある。
- 宣重(宣宴?)(1418-1490)<-1466>:五流尊瀧院17世。(尊瀧院系図)
- 隆誉()<1446->:宣重の子。(尊瀧院系図)
- 増隆()<>:1582年(天正10年)から在京。1589年(天正17年)「堪忍領」を聖護院から認められた(「天和三年書上」)。
- 増誉()<>:1664年の増誉の名による許状が伝わる。
- 秀誉()<>:1687年(貞享4年)、道祐法親王の入峰に従う(『備陽記』『吉備温故秘録』)
- 信誉()<>:1698年(元禄11年)8月入峰。(『要覧』)
- (信山)()<>:後継者。1722年(享保7年)8月、入峰。(『要覧』)
- 義誉()<>:1732年(享保17年)3月、葛城入峰。(『要覧』)
- 哲誉()<>:1745年(延享2年)8月入峰。(『要覧』)
- 永誉()<>:1810年(文化7年)8月入峰大宿。(『要覧』)
- 真海()<>:1817年(文化14年)入峰。1825年(文政8年)8月入峰して20日に宿老となる。(『要覧』)
- 哲昭()<>:1830年(天保1年)8月、初度入峰。1839年(天保10年)8月、宿老として入峰。(『要覧』)
- 貞海()<1863->:1849年(嘉永2年)3月、入峰初度。1863年(文久3年)7月25日、住職。(『要覧』)