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法界寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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822年、藤原家宗が円仁から最澄作の薬師如来像を与えられ祀った。 | 822年、藤原家宗が円仁から最澄作の薬師如来像を与えられ祀った。 | ||
- | + | 1051年、日野資業がその小仏を新たに作った薬師如来像の胎内に納め、薬師堂を建てて法界寺とした。また資業は法界寺文庫を建てて諸書を集めた。 | |
+ | 『叡岳要記』(鎌倉時代)では藤原家宗ではなく藤原内麻呂とする。 | ||
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+ | 1081年、日野資業の子の日野実綱が娘(名前不詳。藤原宗忠母)の菩提のため観音堂を建立。 | ||
+ | 1089年、日野実政が法界寺別当(俗別当)に任命され、以来、日野家が別当を世襲。 | ||
+ | 1096年、堂宇(名称不明)を建立(中右記)。 | ||
+ | 1120年8月22日、塔(規模不明)を建立(地鎮祭?)(中右記)。 | ||
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+ | 1118年に「阿弥陀堂」があったことが中右記にあるが現在の阿弥陀堂に該当するのかどうかは諸説ある。 | ||
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1173年、親鸞がこの地で誕生。 | 1173年、親鸞がこの地で誕生。 | ||
+ | 1221年、兵火で被災。1431年には醍醐寺と関係を持っており、天台宗から真言宗に転じていた可能性がある。 | ||
応仁年間(1467-1469)、香西又六の兵火で阿弥陀堂以外を焼失。 | 応仁年間(1467-1469)、香西又六の兵火で阿弥陀堂以外を焼失。 | ||
天正年間(1573-1592)、織田信長の兵火で薬師堂焼失。 | 天正年間(1573-1592)、織田信長の兵火で薬師堂焼失。 | ||
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文化年間(1804-1818)に西本願寺18世文如が宗祖の誕生地を顕彰するために有範堂を建立。これがのちに日野誕生院となった。 | 文化年間(1804-1818)に西本願寺18世文如が宗祖の誕生地を顕彰するために有範堂を建立。これがのちに日野誕生院となった。 | ||
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*[[日野誕生院]]:現在は別組織だが、元は法界寺境内。 | *[[日野誕生院]]:現在は別組織だが、元は法界寺境内。 | ||
*[[日野家墓地]]: | *[[日野家墓地]]: | ||
- | * | + | *萱尾神社:祭神は大己貴命。鎮守。日吉大社の分社という。江戸時代に集落の氏神となっており現在は別組織。萱尾大明神。 |
- | + | *法界寺文庫:日野資業が建てた。廃絶。旧蔵書も現存しない。 | |
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2020年8月25日 (火) 時点における版
法界寺は、京都府京都市伏見区日野西大道町にある薬師信仰の寺院。本尊は薬師如来。日野家の菩提寺で、親鸞の誕生地でもある。真言宗醍醐派別格本山。日野薬師。山号は東光山。 日野誕生院が隣接。
歴史
822年、藤原家宗が円仁から最澄作の薬師如来像を与えられ祀った。 1051年、日野資業がその小仏を新たに作った薬師如来像の胎内に納め、薬師堂を建てて法界寺とした。また資業は法界寺文庫を建てて諸書を集めた。 『叡岳要記』(鎌倉時代)では藤原家宗ではなく藤原内麻呂とする。
1081年、日野資業の子の日野実綱が娘(名前不詳。藤原宗忠母)の菩提のため観音堂を建立。 1089年、日野実政が法界寺別当(俗別当)に任命され、以来、日野家が別当を世襲。 1096年、堂宇(名称不明)を建立(中右記)。 1120年8月22日、塔(規模不明)を建立(地鎮祭?)(中右記)。 北にある醍醐寺と寺領争いがあった。 1118年に「阿弥陀堂」があったことが中右記にあるが現在の阿弥陀堂に該当するのかどうかは諸説ある。
1173年、親鸞がこの地で誕生。 1221年、兵火で被災。1431年には醍醐寺と関係を持っており、天台宗から真言宗に転じていた可能性がある。 応仁年間(1467-1469)、香西又六の兵火で阿弥陀堂以外を焼失。 天正年間(1573-1592)、織田信長の兵火で薬師堂焼失。
1809年、庫裏を修造。この時、西本願寺が資金を支援。 文化年間(1804-1818)に西本願寺18世文如が宗祖の誕生地を顕彰するために有範堂を建立。これがのちに日野誕生院となった。
(由緒書、『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』ほか)
境内
- 本堂:本尊は薬師如来。本尊は高さ80cmの秘仏で、胎内仏の薬師如来は最澄作と伝える。乳薬師と呼ばれ、安産・授乳の利益の信仰がある。日光・月光菩薩と十二神将も祀る。江戸時代の絵図には小さな草堂が描かれている。現本堂は1904年に奈良県の旧伝燈寺(廃絶。龍田大社神宮寺)本堂(灌頂堂とも)を移築したもので棟木銘にある1456年頃の造営とみられる。桁行五間・梁行四間、寄棟造、瓦葺で、前方の一間部分を一般参詣者の礼拝の場として格子戸で内部と結界する。薬師堂とも。
- 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。日野家霊屋や、日野資業・日野勝光・日野真夏の位牌などを祀る。本尊は平安時代後期作。像高2.8mの坐像丈六仏。定朝様式の典型例とされ、定朝作と伝える。飛天が舞う光背を背に、定印を結ぶ。寄木造で漆箔を施す。現在の阿弥陀堂は平安時代後期の建立当初のもので有数の古建築。浄土教建築の代表例として知られる。往時の法界寺を伝える唯一の堂宇。1226年以前の造営と推定されている。桁行五間・梁行五間の宝形造の檜皮葺。外周に吹き放ちの裳階と回縁を巡らす。内陣の長押の上の壁間には飛天壁画や阿弥陀壁画がある。内陣四隅の四天柱には金剛界曼荼羅の64尊が描かれている。
- 観音堂:廃絶
- 五大堂:廃絶。
- 弁天社:
- 日野誕生院:現在は別組織だが、元は法界寺境内。
- 日野家墓地:
- 萱尾神社:祭神は大己貴命。鎮守。日吉大社の分社という。江戸時代に集落の氏神となっており現在は別組織。萱尾大明神。
- 法界寺文庫:日野資業が建てた。廃絶。旧蔵書も現存しない。