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尾張・興正寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | * | + | *1天瑞円照(1654-1719)<1688-1707>:難波出身。当初、曹洞宗の武蔵長慶寺の普安嶺郁(大事不安)に師事して出家。師の死後、諸国を巡り、黄檗宗万福寺で木菴に参禅し、高弟の一人に数えられた。ある時、法隆寺北室院の律僧が万福寺に来てその姿に心を打たれ、戒を受けることを懇願するもその器ではないと断られた。勧められて摂津地蔵院で快円慧空から菩薩戒を受け、さらに神鳳寺で真政円忍に師事。1682年、自誓受戒を行った。同年、神鳳寺の元真から鑑真、叡尊相伝という衣を授けられた。1684年重受。さらに宝山寺の湛海に密教の「秘璽密けつ」を受け、高野山の法雲元如から空海所持という五鈷杵や覚鑁所持の三鈷杵を与えられた。1686年、名古屋にいる親類を訪ね、その管理する八事の茅庵に住む。藩主に召され認められ、1688年、興正寺を創建。1707年9月、退任。1709年、対馬に明忍の墓を建てるに当たり碑文を揮毫する。以後、書を求めるものが増え、特に南無阿弥陀仏の六字名号は鎮火の功徳があるといわれた。さらに彫刻もできたらしく、1716年、清澄寺(現在は日蓮宗たが当時は真言宗)の虚空蔵菩薩を彫る。その残った材木でもう一体の虚空蔵菩薩を彫り、興正寺の能満堂を建てて祀った。1719年3月14日死去。66歳。 |
- | * | + | *2忍海点阿(1666-1724)<1707-1721>:1724年8月21日死去。59歳。 |
- | * | + | *3高麟常照(1678-1747)<1722-1729>:1720年1月11日自誓受戒。1722年3月就任。高倫常照。1729年7月23日引退。1747年10月11日死去。70歳。 |
- | * | + | *4大亀静照(1691-1734)<1729-1734>:1720年1月11日自誓受戒。1729年8月就任。1734年3月退任。4月23日死去。44歳。 |
- | *5諦忍妙龍(1706-1788)<1734- | + | *5諦忍妙龍(1706-1788)<1734-1774>:雲蓮社空華。円妙。浄土宗鎮西流の璽書も受けている。1721年9月8日、菩薩戒受ける。1734年5月、住職就任。1774年5月に引退。しかしその後も看住として実質的に住職の役目を果たしたらしい。1785年9月8日引退。1786年6月10日死去。82歳。 |
- | * | + | *6泰岳弘道()<1774-1775>:1775年2月引退。 |
- | * | + | *(除歴)聞性宝覚(1738-1784)<1775-1783>:1775年12月17日就任。1783年3月10日退任。帯刀での徘徊、遊女召抱え、葵紋絵符偽造などの容疑で歴代から削除を命じられた。取調べ中の1784年2月3日死去。 |
- | * | + | *7真隆実厳(1752-1816)<1786->:1785年9月14日看坊を経て1786年年2月27日就任。1817年10月27日死去。65歳。 |
- | * | + | *8英旭謙光(1768-1838)<>: |
- | * | + | *9一音演暢 |
- | * | + | *10潭道美英()<>: |
- | * | + | *11膽月満空 |
- | * | + | *12霊瑞寿泉? |
+ | *13高観義弁 | ||
+ | *14慈宝覚玄()<>:『八事山遍照院興正律寺諦忍和尚略譜』を編纂。 | ||
+ | *15英真俊性? | ||
+ | *16恵真栄識()<>:宮崎恵真 | ||
*17 | *17 | ||
- | * | + | *18慈航恵海()<>:江崎恵海 |
- | * | + | *19智道栄済 |
+ | *吉田宏岳()<>: | ||
*梅村正昭()<> | *梅村正昭()<> | ||
*添田隆昭()<>:特任住職。 | *添田隆昭()<>:特任住職。 | ||
- | * | + | *西部法照()<>: |
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2020年12月31日 (木) 時点における版
興正寺(こうしょうじ)は、愛知県名古屋市昭和区八事本町にある真言宗寺院。真言・戒律・浄土の三宗を兼学する伝統がある。高野山真言宗別格本山。八事興正寺。興正律寺。山号は八事山。(参考:同名寺院興正寺)
目次 |
歴史
天瑞円照、1686年に庵を結び、寺院創建を請願。 1688年、藩主徳川家友の許可を得て創建。真言律宗西大寺流開祖の叡尊を勧請開山とし、自らは中興とした。寺号は叡尊の諡号興正菩薩に由来するとみられる。50石を与えられた。
伽藍
- 大日堂:総本尊の胎蔵界大日如来を祀る。
東山遍照院
高野山奥之院に擬す。
- 東山本堂:本尊は阿弥陀如来。
- 不動護摩堂
- 開山堂:本尊は空海、叡尊、天瑞円照。弘法堂。
- 清水不動
西山普門院
- 西山本堂:本尊は阿弥陀如来。
- 五重塔
- 能満堂:虚空蔵菩薩
- 観音堂
- 円照堂
- 普照殿
- 地蔵堂
組織
歴代住職
- 1天瑞円照(1654-1719)<1688-1707>:難波出身。当初、曹洞宗の武蔵長慶寺の普安嶺郁(大事不安)に師事して出家。師の死後、諸国を巡り、黄檗宗万福寺で木菴に参禅し、高弟の一人に数えられた。ある時、法隆寺北室院の律僧が万福寺に来てその姿に心を打たれ、戒を受けることを懇願するもその器ではないと断られた。勧められて摂津地蔵院で快円慧空から菩薩戒を受け、さらに神鳳寺で真政円忍に師事。1682年、自誓受戒を行った。同年、神鳳寺の元真から鑑真、叡尊相伝という衣を授けられた。1684年重受。さらに宝山寺の湛海に密教の「秘璽密けつ」を受け、高野山の法雲元如から空海所持という五鈷杵や覚鑁所持の三鈷杵を与えられた。1686年、名古屋にいる親類を訪ね、その管理する八事の茅庵に住む。藩主に召され認められ、1688年、興正寺を創建。1707年9月、退任。1709年、対馬に明忍の墓を建てるに当たり碑文を揮毫する。以後、書を求めるものが増え、特に南無阿弥陀仏の六字名号は鎮火の功徳があるといわれた。さらに彫刻もできたらしく、1716年、清澄寺(現在は日蓮宗たが当時は真言宗)の虚空蔵菩薩を彫る。その残った材木でもう一体の虚空蔵菩薩を彫り、興正寺の能満堂を建てて祀った。1719年3月14日死去。66歳。
- 2忍海点阿(1666-1724)<1707-1721>:1724年8月21日死去。59歳。
- 3高麟常照(1678-1747)<1722-1729>:1720年1月11日自誓受戒。1722年3月就任。高倫常照。1729年7月23日引退。1747年10月11日死去。70歳。
- 4大亀静照(1691-1734)<1729-1734>:1720年1月11日自誓受戒。1729年8月就任。1734年3月退任。4月23日死去。44歳。
- 5諦忍妙龍(1706-1788)<1734-1774>:雲蓮社空華。円妙。浄土宗鎮西流の璽書も受けている。1721年9月8日、菩薩戒受ける。1734年5月、住職就任。1774年5月に引退。しかしその後も看住として実質的に住職の役目を果たしたらしい。1785年9月8日引退。1786年6月10日死去。82歳。
- 6泰岳弘道()<1774-1775>:1775年2月引退。
- (除歴)聞性宝覚(1738-1784)<1775-1783>:1775年12月17日就任。1783年3月10日退任。帯刀での徘徊、遊女召抱え、葵紋絵符偽造などの容疑で歴代から削除を命じられた。取調べ中の1784年2月3日死去。
- 7真隆実厳(1752-1816)<1786->:1785年9月14日看坊を経て1786年年2月27日就任。1817年10月27日死去。65歳。
- 8英旭謙光(1768-1838)<>:
- 9一音演暢
- 10潭道美英()<>:
- 11膽月満空
- 12霊瑞寿泉?
- 13高観義弁
- 14慈宝覚玄()<>:『八事山遍照院興正律寺諦忍和尚略譜』を編纂。
- 15英真俊性?
- 16恵真栄識()<>:宮崎恵真
- 17
- 18慈航恵海()<>:江崎恵海
- 19智道栄済
- 吉田宏岳()<>:
- 梅村正昭()<>
- 添田隆昭()<>:特任住職。
- 西部法照()<>: