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二の丸東照宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年3月28日 (日)
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[[紅葉山東照宮]]、[[本丸東照宮]]に続き、江戸城内に建てられた3番目の東照宮。 | [[紅葉山東照宮]]、[[本丸東照宮]]に続き、江戸城内に建てられた3番目の東照宮。 | ||
徳川家光の創建。 | 徳川家光の創建。 | ||
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+ | 同月27日、勅使を迎えて正遷宮(続史愚抄)。祠曹雑識には26日戌の刻に遷宮とあり、大炊頭利勝、伊豆守信綱が供奉、青蓮院門跡尊純法親王、毘沙門堂門跡公海が出座、勧修寺経広が奉幣宣命したという。 | ||
1654年(承応3年)9月16日、修造された紅葉山東照宮に合祀された。 | 1654年(承応3年)9月16日、修造された紅葉山東照宮に合祀された。 | ||
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紅葉山東照宮にあった「古御宮」が二の丸東照宮の旧殿ともいう(祠曹雑識)。 | 紅葉山東照宮にあった「古御宮」が二の丸東照宮の旧殿ともいう(祠曹雑識)。 | ||
- | 「二ノ丸権現様興廃記」[http://doi.org/10.24619/00001487] | + | ==資料== |
+ | *「城内神廟霊鶴記」:林羅山。 | ||
+ | *「二ノ丸権現様興廃記」[http://doi.org/10.24619/00001487]: | ||
+ | *「二之丸御指図」 | ||
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2021年3月28日 (日) 時点における最新版
二の丸東照宮は、江戸城二の丸にあった東照宮。旧社殿は移築されて現存している。東照大権現への宮号宣下以前になくなったため、二の丸東照社と呼ぶほうが正確だが便宜上、二の丸東照宮とする。
紅葉山東照宮、本丸東照宮に続き、江戸城内に建てられた3番目の東照宮。 徳川家光の創建。 史料によると1635年(寛永12年)の時点では既に存在していたという。 1637年(寛永14年)9月17日上棟式(祠曹雑識)。 同月27日、勅使を迎えて正遷宮(続史愚抄)。祠曹雑識には26日戌の刻に遷宮とあり、大炊頭利勝、伊豆守信綱が供奉、青蓮院門跡尊純法親王、毘沙門堂門跡公海が出座、勧修寺経広が奉幣宣命したという。 1654年(承応3年)9月16日、修造された紅葉山東照宮に合祀された。
旧社殿は川越に移築され、現存しているとされる。 三芳野神社、川越氷川神社境内の八坂神社、仙波東照宮の3社が候補に上がるが諸説あるようである。 紅葉山東照宮にあった「古御宮」が二の丸東照宮の旧殿ともいう(祠曹雑識)。
資料
- 「城内神廟霊鶴記」:林羅山。
- 「二ノ丸権現様興廃記」[1]:
- 「二之丸御指図」