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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

仙波東照宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年9月16日 (月)

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仙波東照宮(せんば・とうしょうぐう)は、埼玉県川越市小仙波町(武蔵国入間郡)にある東照宮喜多院が別当。天海旧跡。徳川家康神櫃が久能山東照宮から日光東照宮に奉遷された際の旧跡。日光東照宮関連旧跡

歴史

徳川家康は1616年(元和2年)に駿河国静岡で死去。久能山に埋葬された。1617年(元和3年)、喜多院天海の主導で久能山から日光山に改葬されることとなり、その途中の3月23日~26日、家康の神櫃が喜多院大堂に奉安された。遷座時で最大の法要が営まれた。まもなく喜多院にも家康の霊を祀ったのが仙波東照宮の起源という。1633年(寛永10年)に本格的な社殿を造営。1638年(寛永15年)1月の川越大火で焼失。同年7月、徳川家光が再建を命じ、中院跡に築山を造り、1640年(寛永17年)6月に再建した。社殿の一部には1654年(承応3年)、江戸城二の丸東照宮の社殿を移築したともいう。喜多院領500石のうち、東照大権現灯明料100石と本地薬師如来大堂仏供灯明料30石が配当された。1661年(寛文1年)、喜多院領200石加増で70石が増えた。 明治の神仏分離で喜多院より独立。無格社となった。 (日本歴史地名大系ほか)

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