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円応教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年2月14日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
円応教(えんのうきょう)は、深田千代子(1887-1925)を開祖とし、京都府丹波市に本部を置く新宗教。
目次 |
歴史
- 1887年(明治20年)10月3日:深田千代子(教祖と呼称)、兵庫県丹波市山南町井原で誕生。
- 1919年(大正8年)7月16日:深田千代子、居住地の大阪市で「世の中の道具になれ」と天啓を受ける。天啓を下したのは大御親とされる。この時を立教とする。霊感、霊能力による人助けを行い、信者が集まっていく。菩提寺の霊雲寺住職との書簡による交流が続き、臨済宗の教義の影響を受けたとみられている。
- 1922年(大正11年):葉村町の行場に移る。
- 1925年(大正14年)1月6日:深田千代子、葉村町の行場で死去。39歳。「昇天」と呼ばれている。故郷の碁打山に埋葬。霊雲寺より「円応智覚大姉」の法号を授かるが、これが円応教の教団名の由来となる。
- 1925年(大正14年)2月9日:35日忌の石塔建立を機に円応法修会、設立。佐々木俊蔵が会長に就任。横山仙太郎ら7人が中心か。
- 1931年(昭和6年)2月6日:円応法修会を円応修法会と改称。霊雲寺住職の林誠道が会長に就任。霊雲寺の前に会堂を設置。
- 1933年(昭和8年):伴仲実襄(のち屋島教会教会長)が別団体の円応報恩会を設立。
- 1941年(昭和16年):宗教団体法施行による宗教統制の強化を受け、円応修法会と円応報恩会は解散。霊雲寺信徒として活動を続ける。
- 1948年(昭和23年)6月3日:旧円応修法会の門弟らが集まり、深田長治を管長とし、「円応教」の名称で教団設立を決定。
- 1948年(昭和23年)6月10日:宗教法人令に基づく「円応教」設立登記。深田長治、管長に就任。
- 1948年(昭和23年)6月26日:円応教に旧円応報恩会の門弟らも合流。
- 1949年(昭和24年):本部(本教庁)の増築移転計画が開始。11月に碁打山(知覚山)の麓を移転地と決める。
- 1951年(昭和26年)6月26日:本部移転。
- 1951年(昭和26年)10月17日:新日本宗教団体連合会の設立と共に加盟。
- 1952年(昭和27年)7月7日:宗教法人認証。
- 1953年(昭和28年)10月:木造2階建ての修法殿が完成。
- 1954年(昭和29年):円応青年会設立。
- 1956年(昭和31年):墓所を上手の地に改葬し、本部聖地を大規模に造成した。
- 1958年(昭和33年):「管長」を「教主」に変更。
- 1966年(昭和41年):本殿造営中に豪族の墓が出土
- 1970年(昭和45年)10月6日:立教50周年記念で本殿完成。
- 1972年(昭和47年):大地の御親、本殿の南側に鎮座
- 1976年(昭和51年)4月3日:初代教主深田長治、死去。
- 1976年(昭和51年)4月6日:深田充啓、2代教主に就任。
- 1986年(昭和61年)7月13日:教祖生誕100年祭記念で五法閣を建立。
- 1991年(平成3年)10月6日:深田恵子を恵主(教主後継者)に推戴。
- 1999年(平成11年)7月16日:立教80周年。
- 2011年(平成23年):大地の御親、慈照殿の横に遷座
- 2015年(平成27年)7月18日:本殿と修法殿を改築
- 2019年(令和1年)7月16日:立教100周年。
- 新宗教事典
- 円応教ウェブサイト
- 宗教情報リサーチセンター教団データベース
- 新日本宗教団体連合会ウェブサイト
- 1992「円応教」『現代宗教研究』26[1]
組織
教主
- 教祖:深田千代子(1887-1925)<>:
- 初代教主:深田長治(1908-1976)<>:
- 2代教主:深田充啓(1937-)<>:
- (恵主):深田恵子()<>:後継者。
理事長
- 林卓道()<>:林誠道の養子。霊雲寺住職。
- 坂野守信()<-2000->:2000年(平成12年)頃在職。
- 小泉圭修()<-2007->:小黒教会教会長。2007年(平成19年)
- 赤銅重夫()<2009?-2019>:大和教会教会長。2009年(平成21年)頃、理事長に就任。
- 中村史郎()<2019->:桃山教会教会長。2019年(令和1年)、理事長・代表役員に就任。