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青森市招魂堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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青森市招魂堂は青森県青森市合浦の合浦公園にあった招魂社。青森市が直接運営していた点が特色。青森県殉難警察官忠魂碑のあたりが跡地。諏訪神社に合祀され、拝殿が移築されて現存している。1933年(昭和8年)7月の『神社協会雑誌』「招魂社調」掲載の青森県の「市祭招魂社」に該当するとみられる。ただし正式に招魂社として認められていたかは不明。青森県内には他に弘前市の青森県護国神社がある。
- 1886年(明治19年)頃:合浦公園での招魂祭が始まる。それまでは善知鳥神社で行われていた。(中園論文)
- 1895年(明治28年)4月:招魂堂建設の議が起こる。(中園論文)
- 1896年(明治29年)5月26日:日清戦争からの凱旋をあわせて合浦公園で臨時招魂祭を執行。神仏両式で実施。大谷法主が来訪。
- 1899年(明治32年):このころには完成か。(中園論文)
- 1899年(明治32年)8月28日:常備艦隊来港に合わせて招魂祭を執行。
- 1900年(明治33年)8月12日:招魂祭を執行。秋期から夏期に変更[1]。
- 1901年(明治34年)9月10日:前日に入港した常備艦隊が招魂社を参拝[2]。
- 1902年(明治35年)4月30日:暴風雪霰で招魂堂の壁が破損[3]。
- 1903年(明治36年):柿崎千守(諏訪神社神職)から内陣区切りの寄付[4]
- 1905年(明治38年)6月1日:日本海海戦の勝利を祝って善知鳥神社から旗行列。招魂堂前で万歳三唱。[5]
- 1906年(明治39年)11月1日:招魂社と合浦公園の分離を市議会で可決。公園の東に移転が決まる[6]。
- 1908年(明治41年):招魂祭が青森市東津軽郡の連合の祭典となる。(中園論文)
- 1915年(大正4年)6月:移転[7]
- 1919年(大正8年)5月:招魂祭の開催日は一定していなかったが以後、観桜期に合わせて5月が定着(中園論文)
- 1923年(大正12年)6月28日:招魂堂の脇に警官忠魂碑竣工[8][9]
- 1928年(昭和3年):田中勇三から修繕費200円寄付[10]。
- 1949年(昭和24年):戦災で焼失した諏訪神社に拝殿を払い下げて移築[11][12][13]。