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大嘗祭関連旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2015年12月27日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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大嘗祭は、天皇即位の際に行われる祭祀。重要な祭祀でありながら、諸説あるものの祭神は不明という。


歴史

江戸時代まで香を焚いて、天に即位を知らせるなど、中国式だった即位礼が、明治維新以降、新時代に合わせて神道儀礼として再整備されたのと同様に、大嘗祭も新時代に合わせて、改革された。江戸時代と変更された点は次の通り。

  • 京都ではなく、東京で実施された。東京に首都を移す明確な宣言はなされておらず、天皇の東京行幸は人心収攬のための一時的な措置という見方もあったが、事実上の東京遷都を態度として表そうとする政府の判断だったのだろう。しかし、大正、昭和では京都で行われた。平成の大嘗祭では東京で行われた。
  • 神饌のための神田を置く悠紀国と主基国は江戸時代を通じて近江と丹波に固定されていたが、変更となった。(都を中心に悠紀は東方、主基は西方である。明治の大嘗祭のみ東西が逆となっているが理由は不明という。)
  • 大嘗祭の祭日は、11月の卯の日★であるため、明治の大嘗祭では1871年(明治4年)11月17日に行われたが、大正以降は、干支に関係なく、11月17日となった。
  • 奉仕する祭員を改定し、形式的に残っていた中臣・忌部を廃し、神祇省官員が奉仕することとした。(のち掌典職?)
  • 上古には行われていたという悠紀国・主基国の風習を織り込んだ舞や歌の奏上を復興させた。
  • 国民国家の時代を反映し、一般国民から献納された庭積机代物が供進された。
  • 新たに皇后の拝礼が付け加えられた。(大正以降は?)
  • 朝廷内の儀礼から全国家・国民的規模の国家祭典となった。
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