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吉崎御坊
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2015年9月22日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
吉崎御坊(よしざき・ごぼう)は、越前国坂井郡吉崎にあった蓮如の僧堂。吉崎山の山上にあった。現在、跡地が整備されている。吉崎御坊関連旧跡も参照。
歴史
文明3年(1471)7月、蓮如は大津南別所を離れて、加賀国境に近い吉崎を訪れ、吉崎山に坊舎を建立した。 延暦寺の迫害を逃れて、この地まで来たが、多くの門徒が訪問し、町ができたという。 この地に滞在中、蓮如は、各地の門徒に消息(手紙)を出し、教化に励んだ。この消息は現在、『御文章』(『御文』)などとして知られる。また正信偈の開版を行うなど、精力的な活動をみせた。しかし、文明7年(1475)8月、一向一揆が守護の家臣と争い負けたため、責任を取ってこの地を離れた。滞在すること4年だった。 その後、越前加賀の門徒によって維持されてきたが、永正3年(1506)8月、加賀一向一揆と朝倉氏との戦いで焼失した。
江戸時代になり、吉崎は東本願寺の門徒が多いということで 慶長16年(1611)教如は、吉崎惣道場に蓮如真影を下賜。 延宝元年(1673)東本願寺は福井藩に山上の旧跡に御堂の建立を願い、藩はこれを許可したところ、西本願寺が抗議。困惑した藩は幕府に上申した。幕府の裁定が延宝5年(1677)に下され、双方に落ち度があり、山上は「要害」の地なので建立を禁止した。そのため両派は山の麓に寺を建てた。
一覧
- 見玉尼公墓
- 祐念坊霊空墓
- 本光坊了顕墓
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
- 『福井県史』通史編3