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吉崎御坊

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年1月3日 (月)

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吉崎御坊(よしざき・ごぼう)は、越前国坂井郡吉崎にあった蓮如の僧堂。吉崎山の山上にあった。現在、跡地が整備されている。吉崎御坊関連旧跡も参照。

歴史

文明3年(1471)7月、蓮如は大津南別所を離れて、加賀国境に近い吉崎を訪れ、吉崎山に坊舎を建立した。 延暦寺の迫害を逃れて、この地まで来たが、多くの門徒が訪問し、町ができたという。 この地に滞在中、蓮如は、各地の門徒に消息(手紙)を出し、教化に励んだ。この消息は現在、『御文章』(『御文』)などとして知られる。また正信偈の開版を行うなど、精力的な活動をみせた。しかし、文明7年(1475)8月、一向一揆が守護の家臣と争い負けたため、責任を取ってこの地を離れた。滞在すること4年だった。 その後、越前加賀の門徒によって維持されてきたが、永正3年(1506)8月、加賀一向一揆と朝倉氏との戦いで焼失した。

江戸時代になり、吉崎は東本願寺の門徒が多いということで 慶長16年(1611)教如は、吉崎惣道場に蓮如真影を下賜。 延宝元年(1673)東本願寺は福井藩に山上の旧跡に御堂の建立を願い、藩はこれを許可したところ、西本願寺が抗議。困惑した藩は幕府に上申した。幕府の裁定が延宝5年(1677)に下され、双方に落ち度があり、山上は「要害」の地なので建立を禁止した。そのため両派は山の麓に寺を建てた。


一覧

  • 見玉尼公墓
  • 祐念坊霊空墓
  • 本光坊了顕墓

参考文献

  • 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
  • 『福井県史』通史編3
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%90%89%E5%B4%8E%E5%BE%A1%E5%9D%8A」より作成

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