ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
上総・正法寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2016年3月26日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
正法寺(しょうぼうじ)は、千葉県大網白里市にある日蓮宗寺院。日蓮宗久遠寺派本山。かつての檀林の一つで小西檀林と呼ばれた。小西法縁の発祥地。江戸谷、藻原谷、伊豆谷の三つの学寮があった。 開山は妙高院日意、開基は原胤継。檀林の開祖は通王院日裕。(参考:同名寺院正法寺)
歴史
1458年(長禄2年)、上総の豪族の原胤継(小西殿)が小西にあった阿弥陀堂を破壊し、法華堂を建て、本土寺7世の妙高院日意を招いて正法寺を創建。妙高山と号した。のち、1590年(天正18年)、本土寺13世の妙道院日悟が正法寺に入り、7世となると、学室を設置し、通王院日裕を京都より招いて開講した。翌年、徳川家康より朱印30石を与えられ、小西檀林が成立した。
1626年(寛永3年)、将軍徳川秀忠が増上寺法要に諸宗の僧の出仕を命じると6世化主日領は、法華経寺日賢、池上本門寺日樹とともに不受義を主張して拒否。1630年(寛永7年)流罪となり、歴代から除かれた。 檀林は荒廃したが、13世化主要玄院日寛の時代、徳川家光は檀林の衰退を聞き、東金殿の屋敷を与え、移築。日寛は不受義を排除し、檀林を中興する。くだって1873年(明治6年)5月10日、祥見院日旋が化主329世となるが、同年11月16日火災が生じ、山内70棟以上が焼失、そのまま廃止された。