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唐招提寺関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年7月12日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
目次 |
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堂宇
- 金堂:本尊は盧舎那仏で『梵網経』に基づく。右に薬師、左に千手観音を祀る。三戒壇の東大寺、下野・薬師寺、観世音寺の本尊を祀ったともいわれる。正面七間、奥行四間の寄棟造。奈良時代の造営。
- 講堂:本尊は弥勒如来。平城宮東朝集殿を移築して仏堂に改造したもの。平城京で唯一現存する建築遺構とされる。鎌倉時代に入母屋造に改造された。
- 食堂:廃絶
- 舎利殿(鼓楼):鑑真が将来した三千粒の舎利を祀る楼閣造の堂。建暦2年(1212)、貞慶はこの舎利を中心として釈迦念仏会を創始した。元禄時代に舎利が礼堂に遷されたが、昭和13年に再び戻された。鼓楼と呼ばれるが、太鼓は置かれていないという。
- 南大門:
- 中門:
- 開山堂:西室跡の北端にある。鑑真の住房跡に建てられたという。天保4年11月に火災で焼失。
- 本願殿:
- 唐招提寺御影堂:
- 唐招提寺戒壇院:
- 東室:
- 礼堂:舎利殿(鼓楼)の礼堂。東室の南半分を改造した。東正面。元禄時代、鼓楼の舎利を東室に遷座して舎利殿を設け、礼堂を南正面に改造したが、昭和13年の改修で鎌倉時代の様式に戻された。
- 西室:廃絶
- 北室:廃絶
- 醍醐井戸:
- 鐘楼:
- 宝殿:奈良時代の校倉。
- 経蔵:奈良時代の校倉。
- 新宝蔵:
- 羂索堂
- 東塔:廃絶。礎石が東京椿山荘にある。
- 西塔:廃絶。記録にないが跡地と伝わるところがある。
- 阿弥陀堂
- 沙弥堂
- 戒学院
- 地蔵堂:北室跡にある。空海の住房跡に建てられたと伝える。
- 三暁庵
- 鑑真墓:宝篋印塔。江戸時代には墓前に灯籠堂があった。
- 奥の院墓地
- 証玄墓:五輪塔。長らく覚盛の墓と伝えられてきたが、昭和45年の解体修理で骨壷が発見され証玄の墓と判明した。
- 覚盛墓:五輪塔。昭和45年、従来覚盛の墓と伝えられてきた五輪塔が証玄のものと判明したため、新たに建てられた。
- 大日堂:廃絶。西山別坊の中心的堂宇という。本尊だった日本最古の大日如来が現存。
鎮守
- 水鏡神社:鎮守
- 訶梨帝母社:地蔵堂の前にある。傍らに石があり、帝釈天が降りてきた石という。
- 弁天社:南大門そばの池のほとりにある。
塔頭
- 唐招提寺蔵松院:本坊
- 唐招提寺西方院:覚盛や叡尊と共に受戒した有厳が創建。唐招提寺の墓所。慈禅の住房。隆光がここで出家。斉戒衆。
- 愛染院
- 弥勒院
- 能満院
- 菩提庵
- 法華院:鑑真墓を守った塔頭。
- 龍華院
- 文殊院
- 湯屋坊
- 牟尼蔵院
- 興禅院
- 応量坊:覚盛の住房。
- 妙香院:斉戒衆。
- 妙智院:斉戒衆。
- 唐禅院:現在の御影堂の地にあった。
- 西山別坊:千坊とも。
幕末には12坊あった。
その他
- 興福寺新坊:興福寺の塔頭。唐招提寺の僧が管理した。