ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
洞春寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年2月13日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
洞春寺(とうしゅんじ)は、山口県山口市にある、毛利元就の菩提寺となった臨済宗寺院。臨済宗建仁寺派。本尊は十一面観音である。十刹。山口藩(萩藩)毛利家における祖霊祭祀の中心であった。山号は正宗山。
歴史
1573年(天正1年)、毛利輝元が毛利元就の菩提寺として嘯岳鼎虎を招いて創建。はじめ吉田郡山城にあった。
現在、吉田郡山城には洞春寺跡のほか、嘯岳鼎虎の墓や、毛利家吉田郡山城跡墓地(毛利元就、毛利隆元、歴代城主の墓)、常栄寺跡、毛利元就火葬所がある。
その後、毛利家の移転に伴い、広島、山口、萩、山口と点々とした。広島城時代には現在の広瀬神社の位置にあったという。
中世末期には十刹に列せられている(1587年(天正15年)以後)(太田博太郎「十刹・諸山からみた禅宗建築の発展」)。
1603年(慶長8年)、毛利家の山口入城に伴い、山口に移転。1606年(慶長11年)、毛利家が萩へ移転するとそれに従った。さらに幕末に毛利家が山口に藩庁を移すと、1869年(明治2年)、山口の常栄寺の地に移転した(常栄寺は妙寿寺の地に移転して、妙寿寺は廃絶となった)。
さらに明治初年、万年寺と改称した。これは毛利家が菩提寺を廃止したことに伴ったものではないだろうか。1899年(明治32年)、再び洞春寺と称した。
本堂(十一面観音)および観音堂(聖観音)がある。山門は、もともとこの地にあった大内氏菩提寺の周防・国清寺創建当時(1404年(応永11年))のものだと言われている。 井上馨の墓がある(東京の長谷寺にもある)。