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頭塔
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
頭塔(ずとう)は、奈良県奈良市にある仏塔。玄昉の墓という伝承がある。32m四方の石積基壇の上に7段の石積みが重なる。高さは基壇を含め約10m。奇数段には石仏が祀られていた。頂上部には江戸時代のものとみられる五輪塔が置かれている。各層には瓦葺き屋根があった。元々は土塔(どとう)と呼ばれていた。(参考:同名土塔)
歴史
『七大寺巡礼私記』によると玄昉の頭を埋めた塚だとされるが、頭塔という名前から生まれた伝説であり、頭塔は土塔が訛ったものと考えられている。 玄昉伝説に関連する塚では他に肘塚、眉目塚、胴塚があった。
『東大寺要録』『東大寺別当次第』によると、767年、東大寺の実忠が良弁の命で新薬師寺の西に土塔を建てたとある。
1987年から1998年まで奈良国立文化財研究所が発掘調査し、樹木が繁茂する南東部を除く各面が復元された。 ただし、瓦屋根は復元されず、石仏の上部にのみ保護のための屋根が付けられた。石仏上部だけでなく、石積み全体に瓦屋根が架けられていたと考えられている。
構造
平城京の四条大路を東に延長した位置にある。西には元興寺、東には新薬師寺がある。 また南北軸を北に延長すると、東大寺大仏殿の中心軸に当たるともいう。 7段となったのは改修によるもので、当初は4段(3段?)だった。その外側を覆うように現在の石積みがある。 当初のものは760年頃、改修は767年頃と考えられている。 頂上には心柱跡がある。
石仏は東西南北の各面に11基、合計44基があった。 28基が現存し、25基に尊像の浮彫・線刻が確認された。1基は郡山城(大和郡山市)石垣に転用された。
第一段と第七段の各面中央にある石仏は他より大型で注目される。 第一段では東面が多宝仏浄土、西面が阿弥陀浄土、南面が釈迦浄土、北面が弥勒浄土を描く。 一方、第七段では盧遮那仏浄土が描かれており(北面と西面のみ現存)、四方四仏に対して盧遮那仏が上位にあるとの主張を示すと考えられている。
資料
- 現地解説板
- 現地パンフレット
- 日本歴史地名大系
- 国史大辞典