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通玄寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年1月14日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
通玄寺(つうげんじ)は、京都の烏丸御池にあった臨済宗寺院。尼五山第五位。現在の京都府京都市中京区曇華院前町あたりにあった。 智泉聖通が創建。応仁の乱で廃絶。足利義視(略歴は浄土寺#組織を参照)が滞在。塔頭として曇華院門跡、慈受院門跡、総持院門跡があった。元塔頭の曇華院に併合された。 山号は瑞雲山。
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歴史
平安時代の高倉宮御所の地にあたる。 1467年(応仁1年)の応仁の乱で廃絶し、曇華院門跡に合併された。 廃絶後も名のみ存続したようだ。 曇華院門跡は1871年(明治4年)に嵯峨に移転した。
組織
住職
曇華院#組織を参照。
上記にはないが、後西天皇皇女で慈受院門跡の明山瑞光女王(1674-1706)も墓塔に「前住通玄」とある(『陵墓要覧』1934[1])。
資料
- 『通玄寺志』[2]