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児野護摩堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2013年1月25日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
児野護摩堂 ちごの ごまどう | |
概要 | 児野にあった護摩堂。廃絶。 |
奉斎 | |
所在地 | 長野県木曽郡木曽町福島児野 |
所在地(旧国郡) | 信濃国筑摩郡 |
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目次 |
概要
義具(児野嘉左衛門)が、覚明講と普寛講の融和および、幕府による弾圧回避のため、1848年(嘉永1年)に黒沢と王滝の各登山道に建立したのが起源。義具は、尾張藩に働きかけ、護摩堂を寛永寺直支配として、代官山村家の保護を受けた。さらに自証院を御嶽山法務別当として迎え、1848年(嘉永1年)より登拝するようになった。1852年(嘉永5年)、二箇所の護摩堂を廃止統合することとなり、黒沢・王滝の分岐点である児野に移転した。山村代官の護摩方役所が設置された。空明が堂守となった。1862年(文久2年)に再建したという(『御嶽の歴史』184)。明治維新後に廃絶となった。空明は、廃絶後、児野沢橋付近に小堂を建立し、護摩堂の祭祀を継承した。
(『三岳村誌 上巻』831-832、『御嶽の歴史』年表313)
画像
参考文献
- 木曽御嶽信仰#参考文献を参照。