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満洲国の国家祭祀
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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満洲国の国家祭祀。植民地創建神社も参照。日本の神社祭祀と中国の皇帝祭祀の双方が行われた。
沿革
- 1928年6月:日本の関東軍、張作霖を爆殺
- 1931年9月18日:関東軍、柳条湖事件を起こす。満洲事変の始まり。
- 1932年1月:関東軍、満洲全域を支配下に置く。
- 1932年3月1日:関東軍をバックに、張景恵・煕洽ら東北行政委員会が満洲国の建国を宣言。愛新覚羅溥儀を執政として、元号を大同と定めた。首都を新京(長春)に置いた。
- 1932年7月:満洲国協和会を設立し、「王道楽土・五族協和」を掲げた。
- 1932年9月15日:日満議定書。日本が満洲国を承認し、国交を結ぶ。
- 1933年3月:満洲国建国を否認するリットン調査団の報告書に抗議して日本が国際連盟を脱退する。
- 1933年5月31日:塘沽停戦協定。
- 1934年3月1日:帝政実施。満洲帝国と名乗る。康徳と改元。執政の愛新覚羅溥儀が満洲国皇帝に即位。天壇 (満洲国)で天子の座に就いたことを示し、清朝および中国歴代皇帝の後継者であることを誇示した。
- 1934年12月:日本は対満事務局を設置。総裁は陸軍大臣。関東軍が満洲国の軍事と行政の実権を握った。
- 1937年7月7日:盧溝橋事件。日中の全面戦闘が宣戦布告なしに始まり、日中戦争に突入する。
- 1940年:満洲国皇帝溥儀、日本に行幸。
- 1940年5月11日:皇帝溥儀、「国本奠定詔書」を発布し、建国神廟を創建することを宣言。
- 1940年7月15日:建国神廟鎮座。皇帝溥儀が日本語の告文を奏上。国務総理の張景恵や関東軍司令官の梅津美治郎らが参列した。祭祀府を設置した。
- 1941年12月:日米開戦。
- 1945年8月17日:満洲国、解体を宣言。