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京都・九品寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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九品寺(くほんじ)は、京都府京都市南区東九条上御霊町にある浄土宗寺院。[[[法然]]高弟の[長西]]ゆかりの寺院で、浄土宗九品寺派の拠点。浄土宗知恩院派。山号は来迎山。(参考:同名寺院九品寺)
『日本歴史地名大系』によると鳥羽上皇が開いた鳥羽離宮内の京都・成菩提院が前身という。 『和漢三才図会』に「鳥羽法皇が九カ寺建てた一つ」とあり、『国史大辞典』にも「鳥羽上皇が城南の離宮を造ったとき、所々に九ヵ寺を建てて安養九品仏を安置し、九品浄土に擬したうちの一寺」とある。 元は天台宗だったという。
鎌倉時代初期に法然高弟の覚明房長西が住した。長西は諸行本願義を唱えた。長西に学んだ凝然の『浄土法門源流章』によると当時、洛北にあったという。 現在地に移ったのは鎌倉時代中期の貞翁の時代という。1470年という説もある(『新纂浄土宗大辞典』)。 現在地は法然が時折尋ねた九条兼実邸の跡地と伝え、九条邸を去り橋を渡る法然を兼実が見送ると円光が輝いていたという説話があり、その光明橋が残っていたという。
江戸時代初期の慶長年間、袋中良定が中興。米沢藩士野村家の外護を受けた。 江戸時代中頃に知恩院直末となり1807年に尼寺となった。
本尊は1115年に白河法皇が造立した九体阿弥陀仏の一つという。 本尊の脇に室町時代造立の長西像を祀るという。 (『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』ほか)