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法金剛院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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法金剛院(ほうこんごういん)は、京都府京都市右京区花園にある南都仏教の寺院。本尊は阿弥陀如来。待賢門院璋子が双丘寺跡に創建。当初は仁和寺の子院だった。唐招提寺の導御が復興した。江戸時代、泉涌寺の照珍が再建した。裏山に導御らの唐招提寺・泉涌寺長老の墓地と待賢門院・上西門院の陵墓、仁和寺宮墓地がある。律宗唐招提寺派別格本山。山号は五位山。 仁和寺関連旧跡、唐招提寺関連旧跡、泉涌寺関連旧跡。
歴史
待賢門院による造営
1129年(大治4年)9月、鳥羽上皇中宮の待賢門院が仁和寺に新たな御堂を建てようと占ったところ天安寺(双丘寺)跡がふさわしいとし、翌1130年(大治5年)10月に竣工した。落慶には鳥羽上皇と待賢門院が御幸。仁和寺宮覚法法親王が導師を務めた、中央に池を掘り、西側に御堂を建て東に御殿を建て北に滝を築いた。造営の過程は『長秋記』『中右記』に記されている。 1135年(保延1年)、北斗堂、翌年三重塔と経蔵、1139年(保延5年)に南御堂(九体阿弥陀堂)、三昧堂を建立。 待賢門院の死後はその娘の上西門院の御殿となったが、1181年(養和1年)焼失し以後衰退した。
導御による復興
鎌倉時代、1282年(弘安5年)唐招提寺24世の導御(1223-1311)が入り、融通念仏を行い復興。 応仁の乱で焼失し、天正慶長大地震で被災。 泉涌寺75世・唐招提寺59世の賓囿照珍(1555-1628)が再建に着手し、1619年(元和5年)現在の本堂が建立された。 朱印地65石。塔頭に法妙寺(導御の墓所)、地蔵院、亭子院があった。 1970年(昭和45年)、道路拡張のため伽藍の位置を北側に移築。仏殿を新たに建てた。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)