ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
誓度寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年6月12日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
誓度寺(せいどじ)は和歌山県紀の川市猪垣(紀伊国那賀郡)にある臨済宗寺院。無本覚心の旧跡。元は粉河寺の子院で、旧称は誓度院。山号は大慈山。
元来は粉河寺十学生が管理する寺院だった。無本覚心が粉河寺大門供養の導師を勤めた時に十学生から無本覚心に譲渡。以後、臨済宗化し、興国寺末となる。1292年(正応5年)4月5日、無本覚心、「誓度院上々規式」を制定。1429年(永享1年)、粉河寺と争論。1430年(永享2年)8月、畠山満家の裁定で、無本覚心の弟子の志一が那賀郡猪垣に移転。志一は鎌倉公方足利基氏の帰依僧(太平記にも登場する)。将軍足利義教から大慈山誓度寺と命名された。金堂、阿弥陀堂、方丈、食堂、厨、鐘楼、山門、塔頭が整備された。和佐観喜寺が兼務していた時期もある。廃絶。のち復興か。明応の頃までの文書が興国寺などに残る。(紀伊続風土記ほか)