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尾張・尊寿院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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名古屋東照宮の片隅に尊寿院があった(尾張名所図会)
江戸時代の名古屋東照宮境内(尾張名所図会)

尊寿院(そんじゅいん)は愛知県名古屋市中区三の丸にあった天台宗寺院。名古屋東照宮の別当。権現坊と号す。山号は天長山。(参考:同名寺院尊寿院

1619年(元和5年)、徳川義直は天海を招いて父徳川家康を祀る名古屋東照宮を三の丸に創建。 同年、延暦寺東塔南谷日増院尾張・密蔵院を兼務する珍祐を別当とした。 1627年(寛永4年)、天海、別当所をもって天長山神宮寺と称した。7世妙橋が入り、以後は尊寿院と称した。 徳川将軍家霊廟も管理した。 1870年(明治3年)12月廃絶。 (日本歴史地名大系、名古屋市史)

組織

歴代住職

  • 天海()<>:
  • 1珍祐()<>:尾張・密蔵院31世。上乗院と号す。1643年(寛永20年)10月28日死去。
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5智洞()<>:恵恩院と号す。
  • 6智鋒()<>:龍泉寺に住す。1726年(享保11年)12月隠居。維摩院と号す。
  • 7妙橋()<>:比叡山横川鶏足院に住す。1747年(延享4年)3月隠居。円実院と号す。
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16円龍()<>:還俗して上月興那と名乗り、東照宮に奉仕した。
  • 17

資料

  • 「尊寿院古記録」:智洞が提出したもの。[1](限定送信)
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B0%BE%E5%BC%B5%E3%83%BB%E5%B0%8A%E5%AF%BF%E9%99%A2」より作成

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