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南壇 (百済)
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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南壇は百済王都にあった天地壇。大壇とも。おそらく遷都にともない、慰礼城、漢山城、公州と移ったと考えられる。扶余遷都以後は記録にない。百済王室も参照。
歴史
- 2年2月:温祚王が「大壇」を築いて天地を祀る。(『三国史記』「三国史記」)
- 20年10月:温祚王が「大壇」を築いて天地を祀る。(『三国史記』「三国史記」)
- 29年2月:多婁王、「南壇」に天地を祀る。(『三国史記』「三国史記」)
- 238年1月:古爾王、天地を祀るのに太鼓と笛を用いた。(『三国史記』「三国史記」)
- 243年1月:古爾王、「大壇」を設けて天地山川の諸神を祀った。(『三国史記』「三国史記」)
- 247年1月:古爾王、「南壇」に天地を祀った。(『三国史記』「三国史記」)
- 371年:漢山城に遷都
- 347年1月:近肖古王、天地の神祇を祀った。(『三国史記』「三国史記」)
- 393年1月:阿〓王、「南壇」に天地を祀った。(『三国史記』「三国史記」)
- 406年1月:腆支王、「南壇」に天地を祀った。(『三国史記』「三国史記」)
- 475年:公州に遷都。
- 489年10月:東城王、「壇」を設けて天地を祀った。以降は記録にみえない。(『三国史記』「三国史記」)
- 538年:扶余遷都。