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相国寺慈照院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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相国寺の塔頭寺院。 もと大徳院と称したが、延徳2年(1490)、8代将軍・足利義政の菩提寺となり、戒名から慈照院と改名した(義政が建てた銀閣寺も戒名から「慈照寺」という。義政の墓は相国寺境内にある)。
のち昕叔顕啅(きんしゅくけんたく)(仏性本源国師)が桂宮初代智仁親王、2代智忠親王と親交を深め、学問所を境内に建立したことから、桂宮家ゆかりの寺院となり、菩提寺となった。桂宮墓地がある。宮旧邸が移築されている。桂宮家の分家の広幡家の菩提寺ともなっている。 1883年に桂離宮が宮内省の管轄になるとともに、位牌は桂宮家の霊殿がある当院に遷された(『桂宮日記』)。