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毛利家吉田郡山城跡墓地
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2016年9月21日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
毛利家吉田郡山城跡墓地は、中世における毛利家の拠点であった安芸の吉田郡山城跡に造営された、毛利家の墓地である。毛利元就と毛利隆元の墓がある。
1770年(明和7年)、毛利元就200年祭をきっかけに山口藩毛利家は安芸吉田の毛利元就墓所の修復を行った。さらに1812年(文化9年)、毛利隆元250回忌にあたって、毛利隆元墓所を新たに造営した。同時に歴代の城主の墓所も整備した。これは山口常栄寺(毛利隆元菩提寺)の建議がきっかけだった。毛利元就の嫡子であったが、変死を遂げた毛利隆元はそれまでは毛利家正統と認められてこなかった。藩祖顕彰の潮流が各藩で起こる中、名誉復帰がなされたのであった。毛利家の最盛期、郡山城時代を顕彰するものであった。