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興正寺塚口別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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興正寺塚口別院(こうしょうじ・つかぐち・べついん)は、兵庫県尼崎市塚口本町(摂津国川辺郡)にある浄土真宗寺院。本尊は阿弥陀如来。興正寺の別院・御坊。塚口寺内町の中心。真宗興正派。塚口掛所。塚口御坊。正玄寺。塚口興正寺別院。
歴史
1409年(応永16年)、興正寺(仏光寺)11世性曇(1385-1438)が病気で塚口で静養した時に創建したという。1471年(文明3年)焼失。1474年(文明6年)蓮教(経豪)が下向して再建。寺内町が発展するが戦国時代には城郭を巡らせたので、その遺構は塚口城といわれる。江戸時代、本寺である西本願寺と争い、越後に配流となった興正寺19世准秀(1607-1660)は赦免後も京都に戻ることを好まず、墓所も遺命で塚口御坊に設けられた。明治の真宗興正派の独立で、興正寺の別院となった。(『日本歴史地名大系』『真宗法脈史』ほか)