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サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月7日 (土)
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'''サン・ロレンツォ・フォリ・レ・ムーラ大聖堂'''は、[[ローマ]]にある、殉教者'''ロレンツォ'''(ラウレンティウス)の墓の上に築かれた[[カトリック]]の[[大聖堂]]。[[ローマの七大巡礼聖堂]]の一つ。'''城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂'''。 | '''サン・ロレンツォ・フォリ・レ・ムーラ大聖堂'''は、[[ローマ]]にある、殉教者'''ロレンツォ'''(ラウレンティウス)の墓の上に築かれた[[カトリック]]の[[大聖堂]]。[[ローマの七大巡礼聖堂]]の一つ。'''城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂'''。 | ||
助祭ロレンツォは258年、皇帝ヴァレリアヌスの時代に鉄格子の上で焼き殺されたとされる。そのカタコンベの上に330年頃、皇帝コンスタンティヌスが聖堂を創建した。その後、巡礼者が殺到したことから、6世紀末の教皇ペラギウス2世の時代にふさわしい伽藍に改築された。その後13世紀諸島、教皇ホノリウス3世のとき、大規模な増築が行われた。祭壇の下の地下祭室にはラウレンティウス、ステファヌス、ヒポリトゥスの聖遺物が収められている。 | 助祭ロレンツォは258年、皇帝ヴァレリアヌスの時代に鉄格子の上で焼き殺されたとされる。そのカタコンベの上に330年頃、皇帝コンスタンティヌスが聖堂を創建した。その後、巡礼者が殺到したことから、6世紀末の教皇ペラギウス2世の時代にふさわしい伽藍に改築された。その後13世紀諸島、教皇ホノリウス3世のとき、大規模な増築が行われた。祭壇の下の地下祭室にはラウレンティウス、ステファヌス、ヒポリトゥスの聖遺物が収められている。 | ||
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+ | file:サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂007・トリミング・ラウレンティウスとステファノの墓.jpg|ラウレンティウスとステファノの墓 | ||
+ | file:サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂008.jpg|6世紀の遺構が残る。 | ||
+ | file:サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂009.jpg| | ||
+ | file:サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂010・教皇ピウス9世記念碑.jpg|教皇ピウス9世の葬儀記念碑 | ||
+ | file:サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂011・グリエルモ・フィエスキ枢機卿記念碑.jpg|グリエルモ・フィエスキ枢機卿の葬儀記念碑 | ||
+ | file:サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂012・カプチン修道院.jpg|併設するカプチン修道院 | ||
+ | file:サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂013・カタコンベ.jpg|大聖堂のそばにあるロレンツォのカタコンベ | ||
+ | file:サンロレンツォフォリレムーラ大聖堂014.jpg|平面図 | ||
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== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
*浅香正監修『季刊文化遺産17 ローマ古寺巡礼』 | *浅香正監修『季刊文化遺産17 ローマ古寺巡礼』 | ||
[[category:イタリア共和国ラツィオ州]] | [[category:イタリア共和国ラツィオ州]] |
2023年10月7日 (土) 時点における最新版
サン・ロレンツォ・フォリ・レ・ムーラ大聖堂は、ローマにある、殉教者ロレンツォ(ラウレンティウス)の墓の上に築かれたカトリックの大聖堂。ローマの七大巡礼聖堂の一つ。城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂。
助祭ロレンツォは258年、皇帝ヴァレリアヌスの時代に鉄格子の上で焼き殺されたとされる。そのカタコンベの上に330年頃、皇帝コンスタンティヌスが聖堂を創建した。その後、巡礼者が殺到したことから、6世紀末の教皇ペラギウス2世の時代にふさわしい伽藍に改築された。その後13世紀諸島、教皇ホノリウス3世のとき、大規模な増築が行われた。祭壇の下の地下祭室にはラウレンティウス、ステファヌス、ヒポリトゥスの聖遺物が収められている。
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参考文献
- 浅香正監修『季刊文化遺産17 ローマ古寺巡礼』