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一向門流

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2021年8月13日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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一向門流一向を祖とする浄土教の流派。蓮華寺を本山とする。踊躍念仏を特徴とするが、一遍を祖とする時宗とは異なる。かつては時宗に所属していたが、一部の寺院を残して現在は浄土宗知恩院派に所属して活動している。

目次

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資料

古典籍

  • 『一向上人伝』:
  • 『称阿瑞夢記』:一条冬良著。
  • 『元祖一向上人宗脈口訣』:
  • 『蓮華寺縁起』:東園基賢著。
  • 『一向上人血脈譜』:
  • 『八葉山蓮花寺末寺帳』:
  • 『陸波羅南北過去帳』
  • 『羽州化益伝』
  • 「蓮華寺歴代名簿」:宇都宮一向寺蔵。
  • 『近江国八葉山蓮華寺縁起』:[1]
  • 「近江国番場蓮華寺鐘銘」
  • 小川寿一編・竹内禅真監修1983『浄土宗本山蓮華寺史料』蓮華寺寺務所
  • 小川寿一編1986『一向上人の御伝集成』蓮華寺寺務所
  • 大橋俊雄編1993『明治期一向派史料』:
  • 『時宗一向派起源抄』
  • 佐原窿応編1886『葉山古錦』[2][3]
  • 『一向派浄土宗帰入関係史料』

文献

  • 高井景成1937「時宗教団史の一考察:特に一向派と遊行派との関係に就て」『鴨台史報』5
  • 大橋俊雄1951「一向上人:番場遊記」『浄土』17
  • 大橋俊雄1963『番場時衆のあゆみ』
  • 大橋俊雄編『佐原窿応上人』一向寺
  • 大橋俊雄1999『浄土宗本山蓮華寺』
  • 伊藤真徹1964「一向上人と踊躍念仏」[4]
  • 森暢1964「一向上人の臨終絵と画像」『國華』869(森暢『鎌倉時代の肖像画』に再録)
  • 徳田浩淳1975「一向寺の歴史」『下野歴史』41(1976『一向寺の歴史と文化財』に再録)
  • 徳田浩淳1975「一向寺の文化財」『下野歴史』41(1976『一向寺の歴史と文化財』に再録)
  • 河野憲善1988「一向上人の念仏思想」
  • 竹田賢正1989「村山地方の時宗一向派について」
  • 清水信亮1989「一向上人研究ノート」『時宗教学年報』17
  • 田中久夫1972「一向上人俊聖の一史料」
  • 1997『成生庄と一向上人:中世の念仏信仰』天童市立旧東村山郡役所資料館
  • 長澤昌幸1999「一向上人研究序説(1)『一向上人伝』について」『時宗教学年報』27
  • 長澤昌幸2010「一遍教学の一試論ー一向俊聖との比較を中心に」[5]
  • 古賀克彦1999「浄土系教団の人事交流史の一研究:特に時宗寺院を中心として」『印度學佛教學研究』[6]
  • 古賀克彦2000「佐原窿応と山崎弁栄:近代「時宗」の様相」『印度學佛教學研究』[7]
  • 竹内真道2004「蓮華寺蔵『元祖一向上人御絵伝五巻』(五巻伝)について」
  • 2006『法灯連綿清照山一向寺』
  • 峯崎賢亮2007「時宗一向派第四十五世同阿作一向上人行状和讃について」『時宗教学年報』35
  • 島遼伍2009『名門下野宇都宮家二十二代記位牌寺一向寺』
  • 井澤隆浩2015「一向諸伝の成立について」『寺社と民衆』11
  • 井澤隆浩2017「一向俊聖伝の考察:『一向上人縁起絵詞』を中心として」
  • 坂本要2016「踊り念仏の種々相(2):導御・一向・一遍・他阿」『筑波学院大学紀要』11
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%80%E5%90%91%E9%96%80%E6%B5%81」より作成

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