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万倉護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*1867年(慶応3年)11月:国司健之助が、土井峠山に禁門の変の責を負って自刃した養父の国司信濃らを祀って開設。 | *1867年(慶応3年)11月:国司健之助が、土井峠山に禁門の変の責を負って自刃した養父の国司信濃らを祀って開設。 | ||
- | * | + | *1877年(明治10年)9月:戊辰戦争以前も対象となり官祭招魂社に指定(1959山口県文化史[https://dl.ndl.go.jp/pid/2992404/1/79])。(1901年(明治34年)に官祭招魂社となったという記述は「官祭招魂社」の呼称が定められたことを示すと思われる) |
*1939年(昭和14年):護国神社制度施行で万倉護国神社と改称。 | *1939年(昭和14年):護国神社制度施行で万倉護国神社と改称。 | ||
*1942年(昭和17年):現在地に移転。神霊碑群は旧地に残されたが近年、神社そばに移設された。 | *1942年(昭和17年):現在地に移転。神霊碑群は旧地に残されたが近年、神社そばに移設された。 |
2023年7月22日 (土) 時点における版
万倉護国神社は山口県宇部市西万倉にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。垰招魂場、垰招魂社、奥万倉招魂社。
- 1867年(慶応3年)11月:国司健之助が、土井峠山に禁門の変の責を負って自刃した養父の国司信濃らを祀って開設。
- 1877年(明治10年)9月:戊辰戦争以前も対象となり官祭招魂社に指定(1959山口県文化史[1])。(1901年(明治34年)に官祭招魂社となったという記述は「官祭招魂社」の呼称が定められたことを示すと思われる)
- 1939年(昭和14年):護国神社制度施行で万倉護国神社と改称。
- 1942年(昭和17年):現在地に移転。神霊碑群は旧地に残されたが近年、神社そばに移設された。