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九条・不断光院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年3月29日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
不断光院(ふだんこういん)は京都府京都市南区東九条宇賀辺町あたりにあった浄土宗寺院。 元は深草(京都市伏見区)にあり、九条家の女性が入る尼寺だったが 南北朝時代の兵乱で1336年(延元1年/建武3年)8月23日に焼失。九条富小路あたりに移転した。
のち近衛家との関係を深めたらしく、永禄年間、近衛信輔が薩摩に下向した時に不断光院住職の浄蓮社芳渓清誉(生没年不詳)も随行し、島津忠良・貴久・義久が帰依。1562年(永禄5年)、清誉を開山として島津家15代の島津貴久(1514-1571)が薩摩・不断光院を創建した。