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亜庭神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''亜庭神社'''は樺太庁大泊支庁大泊郡大泊町にあった神社。[[県社]]。[[北海道・樺太の神社]]。廃絶。 | '''亜庭神社'''は樺太庁大泊支庁大泊郡大泊町にあった神社。[[県社]]。[[北海道・樺太の神社]]。廃絶。 | ||
+ | [[ファイル:大泊町地図1.jpg|thumb|大泊別院は神楽岡の北東にあった|350px]] | ||
1930年(昭和5年)7月5日、県社列格。『神道史大辞典』には不掲載。『北海道神社庁誌』『樺太の神社』に記載あり。1945年(昭和20年)8月、支庁管内の神社を亜庭神社に奉遷(『樺太の神社』)。ソ連占領下、引揚まで祭祀が継続され、1946年(昭和21年)12月20日に焼納(『樺太の神社』)。社司山田信義は神宝の鏡(伊勢神宮撤下品。御霊代ではない)を引揚と共に持ち帰り、[[和寒神社]]に伝わっている(同)。 | 1930年(昭和5年)7月5日、県社列格。『神道史大辞典』には不掲載。『北海道神社庁誌』『樺太の神社』に記載あり。1945年(昭和20年)8月、支庁管内の神社を亜庭神社に奉遷(『樺太の神社』)。ソ連占領下、引揚まで祭祀が継続され、1946年(昭和21年)12月20日に焼納(『樺太の神社』)。社司山田信義は神宝の鏡(伊勢神宮撤下品。御霊代ではない)を引揚と共に持ち帰り、[[和寒神社]]に伝わっている(同)。 |
2020年2月29日 (土) 時点における版
亜庭神社は樺太庁大泊支庁大泊郡大泊町にあった神社。県社。北海道・樺太の神社。廃絶。
1930年(昭和5年)7月5日、県社列格。『神道史大辞典』には不掲載。『北海道神社庁誌』『樺太の神社』に記載あり。1945年(昭和20年)8月、支庁管内の神社を亜庭神社に奉遷(『樺太の神社』)。ソ連占領下、引揚まで祭祀が継続され、1946年(昭和21年)12月20日に焼納(『樺太の神社』)。社司山田信義は神宝の鏡(伊勢神宮撤下品。御霊代ではない)を引揚と共に持ち帰り、和寒神社に伝わっている(同)。