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京都・世尊寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
京都・世尊寺
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'''世尊寺'''(せそんじ)は、[[平安京]]の一条の北にあった寺院。現在の上京区笹屋町通桝屋町、あるいは栄町に当たる。西に[[尊重寺]]、東に[[京都・実相寺|実相寺]]、[[紫野・妙覚寺|妙覚寺]]があった。(参考:同名寺院[[世尊寺]]) == 歴史 == この地は元来、天皇の食事に使う野菜や果実を栽培する菜園の京北園があった。その後も桃の木などが残ったことから桃園と呼ばれ、桃園邸として皇族や貴族が住んだ。この桃園邸を受け継いだ藤原行成が長保3年(1001)、寺院として寄進し、世尊寺を創建した。金色大日如来と十一面観音を祀り、さらに寛弘3年(1006)には阿弥陀如来を祀ったという。 [[藤原道長]]は寛弘元年(1004)、寛仁2年(1018)など数回訪れている。保元2年(1157)に[[後白河上皇]]が行幸した(園太暦)後は記録にない。行成の書風を受け継ぐ書道の流派が世尊寺流と呼ばれる。 『帝王編年記』には花山天皇が世尊寺で生まれたとあるが、天皇の生母は行成のおばにあたる、 (国史大辞典、日本歴史地名大系) [[category:京都府]]
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