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京都・世尊寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年9月18日 (月) 時点における版
世尊寺(せそんじ)は、平安京の一条の北にあった寺院。現在の上京区笹屋町通桝屋町、あるいは栄町に当たる。西に尊重寺、東に実相寺、妙覚寺があった。(参考:同名寺院世尊寺)
歴史
この地は元来、京北園と呼ばれた平安京の施設があった場所で、天皇の食事に使う野菜や果実を育てたことから桃園と呼ばれた。
長保3年(1001)、藤原行成が創建した。金色大日如来と十一面観音を祀り、さらに寛弘3年(1006)には阿弥陀如来を祀ったという。 藤原道長は寛弘元年(1004)、寛仁2年(1018)など数回訪れている。保元2年(1157)に後白河上皇が行幸した(園太暦)後は記録にない。行成の書風を受け継ぐ書道の流派が世尊寺流と呼ばれる。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)