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京都・円教寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年6月28日 (日)
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2020年6月28日 (日) 時点における最新版
円教寺(えんきょうじ)は、京都府京都市右京区花園円成寺町にあった真言宗寺院。仁和寺の子院。廃絶。歴代天皇が創建した四円寺の一つ。長徳4年(998)創建した。 仁和寺関連旧跡。 (参考:同名寺院円教寺)
歴史
一条天皇の勅願で創建。 998年(長徳4年)1月22日、落慶法要。寛朝が導師を務めた。 1012年(長和1年)5月、一条天皇の一周忌を行った。 1013年(長和2年)6月22日、法華八講。以後毎年。火災で中断。
1018年(寛仁2年)閏4月12日、焼失。 1034年(長元7年)10月17日再建。丈六金色大日如来、薬師如来、釈迦如来、六天を祀る堂を建てた。
1045年(寛徳2年)2月、後朱雀天皇の遺骨を円教寺内に奉安(所在ははっきりしない。円乗寺陵)。 1055年(天喜3年)10月25日、後朱雀天皇遺命の新堂を建立して円乗寺と名付けた。
1068年(治暦4年)に崩御した後冷泉天皇は遺骨は円教寺に奉安された。陵の場所を明記した史料はないが、現在の後冷泉天皇陵は幕末に定められた場所で、円教寺陵と呼ばれている。
1107年(嘉承2年)に崩御した堀河天皇は香隆寺に一時納骨され、1113年(永久1年)に円融寺に改葬。 『本朝世紀』1149年(久安5年)12月25日条に堀河天皇陵を「後円教寺」と号すとある。
円教寺別当には寛助(1057-1125)、寛遍(1100-1166)がいた。
(『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』)