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京都・清凉寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
京都・清凉寺
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'''清凉寺'''(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区にある、[[清凉寺如来信仰]]の[[浄土宗]]・[[南都仏教]]の寺院。本尊は[[釈迦如来]]。元は、[[開封]]の[[開封・啓聖院|啓聖院]]にあったものを[[奝然]]が持ち帰った。少し離れているが[[愛宕山]]の神域に含まれるという。通称は'''嵯峨釈迦堂'''。山号は五台山。(参考:同名寺院[[清凉寺]]) == 歴史== ===棲霞寺の創建=== 源融の別荘の棲霞観は死後、寺院にされ、'''棲霞寺'''と称した。阿弥陀三尊を祀った。 天慶8年(945)、源重明が本堂を再建。 ===奝然請来の釈迦像=== 入宋してウデン王造立釈迦の模刻を持ち帰った[[東大寺]]僧[[奝然]]は[[愛宕山]]を中国[[五台山]]に見立てて大清凉寺の創建を発願。永延元年(987)、朝廷に願い出るが果たさず、長和5年(1016)死去。 盛算が跡を継いだが、寺院建立は諦め、清凉寺如来を棲霞寺釈迦堂に奉安し、勅許を得て五台山清凉寺と称した。五台山は中国華厳宗の聖地だった。 如来像は「生身の釈迦」として厚く信仰を集めた。ウデン王が造立した仏教史上初の仏像、栴檀釈迦像そのものだと信じられるようになり、三国伝来の釈迦と称えられた。 ===鎌倉時代=== [[唐招提寺]]長老24世の[[導御]]が融通念仏を広めた。以後、清凉寺で浄土教が強くなる。 ===近世=== 16世紀頃から浄土宗系の僧が寺院運営の実権を握るようになり、真言宗系の僧としばしば対立した。 明治維新で浄土宗に所属した。真言宗系の塔頭は[[大覚寺]]末となった。 (日本歴史地名大系、国史大辞典) ==伽藍== *本堂 *阿弥陀堂:棲霞寺と号す。旧棲霞寺の本尊を祀る。 *薬師堂:元は薬師寺という寺院だったという。 *狂言堂 *多宝塔 *嵯峨天皇塔 *檀林皇后塔 *源融塔 *導御墓 ==資料== ===古典籍=== *『釈迦堂縁起』:絵巻。『清凉寺縁起』。 *『清凉史略』 *『嵯峨清涼寺釈迦如来牛皮華鬘縁起』 *『清凉寺過去帳』[https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/400/4143/111/0000] [[category:京都府]]
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