ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

京都塩竈・金光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月14日 (土)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?歴史)
 
(間の2版分が非表示)
1行: 1行:
-
[[file:Kokudo0298.jpg|thumb|300px|金光寺と市比売神社(国土地理院空中写真より)]]
+
[[file:B4ACF2D8-0F23-4F81-98AC-357F2BCCD23F.jpeg|金光寺|thumb|400px]]
'''金光寺'''(こんこうじ)は、京都府京都市下京区本塩竈町にある[[時宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。かつての[[時宗市屋派]]の拠点寺院。[[市姫神社]]を鎮守とする。[[空也]]が創建したとされ、[[一遍]]も訪れている。'''最勝王院'''。通称は'''市屋道場'''、'''一夜道場'''、'''市姫金光寺'''。山号は市中山。しばしば混同されるが七条道場[[京都七条・金光寺|金光寺]]とは別寺院。(参考:同名寺院[[金光寺]])
'''金光寺'''(こんこうじ)は、京都府京都市下京区本塩竈町にある[[時宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。かつての[[時宗市屋派]]の拠点寺院。[[市姫神社]]を鎮守とする。[[空也]]が創建したとされ、[[一遍]]も訪れている。'''最勝王院'''。通称は'''市屋道場'''、'''一夜道場'''、'''市姫金光寺'''。山号は市中山。しばしば混同されるが七条道場[[京都七条・金光寺|金光寺]]とは別寺院。(参考:同名寺院[[金光寺]])
== 歴史 ==
== 歴史 ==
 +
[[file:Kokudo0298.jpg|thumb|300px|金光寺と市比売神社(国土地理院空中写真より)]]
承平年間、空也が平安京東市に祀られている市姫神社の神勅を得て創建。
承平年間、空也が平安京東市に祀られている市姫神社の神勅を得て創建。
元は[[薬師如来]]を本尊とした。
元は[[薬師如来]]を本尊とした。
15行: 16行:
1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。
1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。
(『日本歴史地名大系』)
(『日本歴史地名大系』)
 +
==子院==
 +
*玉蔵庵
 +
*玉林庵
 +
*最勝庵
 +
*報恩庵
 +
*正覚院
 +
==組織==
==組織==
===住職===
===住職===
-
*1[[空也]]:
+
*1[[空也]]()<>
-
*2[[一遍]]:
+
*2[[一遍]]()<>
-
*3作阿:
+
*3作阿()<>:
-
*23敬空:
+
*4
-
*俊旭:浄土宗西山派
+
*5
 +
*6
 +
*7
 +
*8
 +
*9
 +
*10
 +
*11
 +
*12
 +
*13
 +
*14
 +
*15
 +
*16
 +
*17
 +
*18
 +
*19
 +
*20
 +
*21
 +
*22
 +
*空元()<>:1692年(元禄5年)在職。
 +
*23敬空()<?-1735>:1735年(享保20年)7月隠退。
 +
*24俊旭()<1735-?>:浄土宗西山派。以後しばらく、西山派の僧侶が住職を務める。
 +
*浄信()<?-1862>:1862年(文久2年)「身持不埒」で追放。
 +
*真徹()<1862-?>:1862年(文久2年)、遊行派の越後下田連光寺から入寺。
 +
*武田徹定()<>:1889年(明治22年)在職。
 +
*74武田賢善()<1936-?>:遊行上人65世尊光の弟子。1936年(昭和11年)入寺。
==資料==
==資料==

2021年8月14日 (土) 時点における最新版

金光寺

金光寺(こんこうじ)は、京都府京都市下京区本塩竈町にある時宗寺院。本尊は阿弥陀如来。かつての時宗市屋派の拠点寺院。市姫神社を鎮守とする。空也が創建したとされ、一遍も訪れている。最勝王院。通称は市屋道場一夜道場市姫金光寺。山号は市中山。しばしば混同されるが七条道場金光寺とは別寺院。(参考:同名寺院金光寺

目次

歴史

金光寺と市比売神社(国土地理院空中写真より)

承平年間、空也が平安京東市に祀られている市姫神社の神勅を得て創建。 元は薬師如来を本尊とした。 1286年(弘安9年)、一遍が京都に訪れた際、空也を慕って逗留し、念仏教化。 老若男女が群参し、ついに住職の俊暁は一遍に帰依して作阿と名乗った。

年代は異なるが、『一遍聖絵』に1284年(弘安7年)に一遍が金光寺を訪れ、踊躍念仏の踊り場を開いたことが描かれており、訪問は史実とみられる。 1591年(天正19年)、本願寺の移転で土地を明け渡して現在地に移転した。

朱印地28石。

1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。 (『日本歴史地名大系』)

子院

  • 玉蔵庵
  • 玉林庵
  • 最勝庵
  • 報恩庵
  • 正覚院

組織

住職

  • 1空也()<>:
  • 2一遍()<>:
  • 3作阿()<>:
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 空元()<>:1692年(元禄5年)在職。
  • 23敬空()<?-1735>:1735年(享保20年)7月隠退。
  • 24俊旭()<1735-?>:浄土宗西山派。以後しばらく、西山派の僧侶が住職を務める。
  • 浄信()<?-1862>:1862年(文久2年)「身持不埒」で追放。
  • 真徹()<1862-?>:1862年(文久2年)、遊行派の越後下田連光寺から入寺。
  • 武田徹定()<>:1889年(明治22年)在職。
  • 74武田賢善()<1936-?>:遊行上人65世尊光の弟子。1936年(昭和11年)入寺。

資料

古典籍

  • 『金光寺縁起』:
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%A1%A9%E7%AB%88%E3%83%BB%E9%87%91%E5%85%89%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール