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仙岳院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年8月6日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
仙岳院は宮城県仙台市青葉区東照宮にある天台宗寺院。本尊は釈迦如来。仙台東照宮別当。中尊寺別当。康国寺。山号は眺海山。 脇侍は文殊菩薩・普賢菩薩。
目次 |
歴史
- 1654年(承応3年)、伊達忠宗が東照宮を創建したと同時に別当寺として仙岳院を創建。
- 1868年(明治1年)7月2日:戊辰戦争の時、輪王寺宮公現法親王(北白川宮能久親王)が仙岳院に入る。10月11日まで。
- 1897年(明治30年):公現法親王妃が訪問。
- 1938年(昭和13年)5月:公現法親王妃が訪問。
伽藍
- 本堂:
- 仙台東照宮:
- 真浄殿:2代から13代将軍の位牌を祀った
- 観音堂:本尊は十一面観音。小萩観音。
- 万日堂:廃絶か
- 山王社
- 糺明神
- 貴船明神
組織
歴代
- 1晃海(1603-1663)<>:寛永寺執当初代。天海の弟子。不動院住職。1663年(寛文3年)11月2日死去。(略歴は観理院#組織を参照)
- 2天勇()<>:1655年(明暦1年)2月14日入院。1673年(延宝1年)3月14日死去。
- 3亮栄()<>:1673年(延宝1年)6月16日入院。中尊寺別当に命じられた。以後、歴代住職が中尊寺別当を兼ねた。1686年(貞享3年)浄光院万日堂を創建。1686年(貞享3年)9月4日死去。62歳。
- 4亮寛()<>:1686年(貞享3年)12月入院。1707年(宝永4年)12月11日死去。
- 5亮純()<>:1705年(宝永2年)7月入院。1717年(享保2年)4月14日死去。
- 6亮然()<>:1717年(享保2年)入院。1730年(享保15年)8月15日死去。
- 7亮全()<>:1735年(享保20年)3月入院。1761年(宝暦11年)8月再任。1774年(安永3年)2月20日死去。浄国院。
- 8亮健()<>:1761年(宝暦11年)2月入院。1761年(宝暦11年)6月16日死去。
- 9亮中()<>:1768年(明和5年)9月入院。1802年(享和2年)8月10日死去。
- 10延亮()<>:1802年(享和2年)7月入院。1804年(文化1年)6月2日死去。
- 11亮深()<>:1805年(文化2年)8月入院。1839年(天保10年)7月19日死去。
- 12深成()<>:1830年(天保1年)入院。1831年(天保2年)12月16日死去。
- 13慈寛()<>:1832年(天保3年)10月入院。1842年(天保13年)2月4日死去。
- 14慈湛()<>:1843年(天保14年)1月入院。1859年(安政6年)10月19日死去。
- 15梅小路亮湛()<>:1860年(万延1年)3月14日入院。1879年(明治12年)12月、仙岳院住職?
- 16梅小路亮真()<>:
- 17荒真了(1882-1955)<1918->:寛永寺24世。1918年(大正7年)2月、仙岳院。1936年(昭和11年)12月、中尊寺住職。(略歴は寛永寺#組織を参照)
子院
- 宝蔵院:廃絶。
- 延命院:廃絶。
- 成就院:廃絶。
- 延寿院:浄円坊権現の拝殿が現存。
- 吉祥院:廃絶。御旅所守護