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伯耆・大山寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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(?歴代学頭)
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本坊[[西楽院]]に住した。大山寺座主とも称したか。2世からは[[延暦寺]]や[[寛永寺]]の僧が任命された。1710年(宝永7年)6月以後は[[滋賀院門跡]]が学頭を務め、留守居・代官が派遣された。西楽院を政庁とする学頭・留守居・代官・三学頭代という支配機構が成立。
本坊[[西楽院]]に住した。大山寺座主とも称したか。2世からは[[延暦寺]]や[[寛永寺]]の僧が任命された。1710年(宝永7年)6月以後は[[滋賀院門跡]]が学頭を務め、留守居・代官が派遣された。西楽院を政庁とする学頭・留守居・代官・三学頭代という支配機構が成立。
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*1豪円(1535-1611)<?-1611>:大山寺中興。[[備前・金山寺]]中興。伯耆出身。1535年(天文4年)生。俗姓は中津尾。初名は円智。[[延暦寺地福院]]、[[延暦寺習禅院]]に住す。1568年(永禄11年)頃金山寺住職に就任。大山寺に帰り西楽院に入り一山の実権を掌握。1594年(文禄3年)または1561年(永禄4年)に大山寺住職となり、伽藍復興に尽くす。1611年(慶長16年)死去。
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*(除歴)岩本院()<1611-1613>:豪円の弟子。一山僧侶から排斥され幕府から罷免される。
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*5公侃()<1679-1689>:池田輝澄の六男。徳川家康の孫。[[樗谿神社]](鳥取東照宮)別当の大雲院の開山。寛永寺涼泉院に住す。1679年(延宝7年)から1689年(元禄2年)まで大山寺学頭。実成院と号す。
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|豪円の弟子。一山僧侶から排斥され幕府から罷免される。
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===歴代住職===
===歴代住職===

2023年3月22日 (水) 時点における版

大山寺(だいせんじ)は、鳥取県西伯郡大山町の伯耆大山にある天台宗寺院。天台宗延暦寺派別格寺大神山神社の神宮寺。 鳥取県西伯郡大山町大山9。


組織

歴代学頭

本坊西楽院に住した。大山寺座主とも称したか。2世からは延暦寺寛永寺の僧が任命された。1710年(宝永7年)6月以後は滋賀院門跡が学頭を務め、留守居・代官が派遣された。西楽院を政庁とする学頭・留守居・代官・三学頭代という支配機構が成立。

歴代 名前 生没年 在職年 略歴
1 豪円 1535-1611 ?-1611 大山寺中興。備前・金山寺中興。伯耆出身。1535年(天文4年)生。俗姓は中津尾。初名は円智。延暦寺地福院延暦寺習禅院に住す。1568年(永禄11年)頃金山寺住職に就任。大山寺に帰り西楽院に入り一山の実権を掌握。1594年(文禄3年)または1561年(永禄4年)に大山寺住職となり、伽藍復興に尽くす。1611年(慶長16年)死去。
除歴 岩本院 1611-1613 豪円の弟子。一山僧侶から排斥され幕府から罷免される。
2 久運 ?-1626 1613-? 延暦寺の僧。延暦寺薬樹院に住したか。1613年(慶長18年)学頭就任。大山寺には常住せず。
3 天海 1536-1643 1626-? 1626年(寛永3年)学頭就任。大山寺には常住せず。妙浄院を留守居代官に命じた。
4 胤海 天海の直弟子。寛永寺学頭。延暦寺檀那院寛永寺涼泉院を創建。羽黒山執行も務めた。
5 公侃 1679-1689 池田輝澄の六男。徳川家康の孫。樗谿神社(鳥取東照宮)別当の大雲院の開山。寛永寺涼泉院に住す。1679年(延宝7年)から1689年(元禄2年)まで大山寺学頭。実成院と号す。
6 最純 寛永寺執当。
7 常然
8 実興 ?-1710 寛永寺執当。寛永寺常照院根津神社別当昌泉院。

歴代住職

  • 大舘禅空:
  • 大舘禅雄:自坊は洞明院
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BC%AF%E8%80%86%E3%83%BB%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%AF%BA」より作成

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