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伯耆・大山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年3月22日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
大山寺(だいせんじ)は、鳥取県西伯郡大山町の伯耆大山にある天台宗寺院。天台宗延暦寺派別格寺。大神山神社の神宮寺。 鳥取県西伯郡大山町大山9。
組織
歴代学頭
本坊西楽院に住した。大山寺座主とも称したか。2世からは延暦寺や寛永寺の僧が任命された。1710年(宝永7年)6月以後は滋賀院門跡が学頭を務め、留守居・代官が派遣された。西楽院を政庁とする学頭・留守居・代官・三学頭代という支配機構が成立。
歴代 | 名前 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 豪円 | 1535-1611 | ?-1611 | 大山寺中興。備前・金山寺中興。伯耆出身。1535年(天文4年)生。俗姓は中津尾。初名は円智。延暦寺地福院、延暦寺習禅院に住す。1568年(永禄11年)頃金山寺住職に就任。大山寺に帰り西楽院に入り一山の実権を掌握。1594年(文禄3年)または1561年(永禄4年)に大山寺住職となり、伽藍復興に尽くす。1611年(慶長16年)死去。 |
除歴 | 岩本院 | 1611-1613 | 豪円の弟子。一山僧侶から排斥され幕府から罷免される。 | |
2 | 久運 | ?-1626 | 1613-? | 延暦寺の僧。延暦寺薬樹院に住したか。1613年(慶長18年)学頭就任。大山寺には常住せず。 |
3 | 天海 | 1536-1643 | 1626-? | 1626年(寛永3年)学頭就任。大山寺には常住せず。妙浄院を留守居代官に命じた。 |
4 | 胤海 | 天海の直弟子。寛永寺学頭。延暦寺檀那院。寛永寺涼泉院を創建。羽黒山執行も務めた。 | ||
5 | 公侃 | 1679-1689 | 池田輝澄の六男。徳川家康の孫。樗谿神社(鳥取東照宮)別当の大雲院の開山。寛永寺涼泉院に住す。1679年(延宝7年)から1689年(元禄2年)まで大山寺学頭。実成院と号す。 | |
6 | 最純 | 寛永寺執当。 | ||
7 | 常然 | |||
8 | 実興 | ?-1710 | 寛永寺執当。寛永寺常照院。根津神社別当昌泉院。 |
歴代住職
- 大舘禅空:
- 大舘禅雄:自坊は洞明院