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伯耆・安養寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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内親王は、隠岐に流される後醍醐天皇を追って、出雲国美保関まで来たが捕まり、伯耆国車尾(くずお)に軟禁される。ここで、[[遊行寺]]5世安国(6世一鎮とも)に帰依し、出家して安養尼と名乗った。その後、父帝が京都に帰還しても戻らなかった。南朝元弘2年(1332、北朝正慶元年)、後醍醐天皇は京都から阿弥陀如来像、仏舎利を送り、土地を寄進させて、寺院とした。 | 内親王は、隠岐に流される後醍醐天皇を追って、出雲国美保関まで来たが捕まり、伯耆国車尾(くずお)に軟禁される。ここで、[[遊行寺]]5世安国(6世一鎮とも)に帰依し、出家して安養尼と名乗った。その後、父帝が京都に帰還しても戻らなかった。南朝元弘2年(1332、北朝正慶元年)、後醍醐天皇は京都から阿弥陀如来像、仏舎利を送り、土地を寄進させて、寺院とした。 |
2014年12月19日 (金) 時点における版
後醍醐天皇の第27皇女瓊子内親王が創建した寺院。会見山。治定の皇女墓所がある。時宗。鳥取県米子市。
内親王は、隠岐に流される後醍醐天皇を追って、出雲国美保関まで来たが捕まり、伯耆国車尾(くずお)に軟禁される。ここで、遊行寺5世安国(6世一鎮とも)に帰依し、出家して安養尼と名乗った。その後、父帝が京都に帰還しても戻らなかった。南朝元弘2年(1332、北朝正慶元年)、後醍醐天皇は京都から阿弥陀如来像、仏舎利を送り、土地を寄進させて、寺院とした。
境内に治定の瓊子内親王墓がある。 (金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』)