ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
佐比寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月22日 (土)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''佐比寺'''は、[[平安京]]郊外の賽の河原にあった[[古代寺院]] | + | '''佐比寺'''は、[[平安京]]郊外の賽の河原にあった[[古代寺院]]。道祖大路(佐比大路、佐井通)を南に延長し桂川と交わるところがいわゆる「賽の河原」とされたといい、その周辺にあったという。現在の京都府京都市南区の「塔ノ森」のあたりか。'''佐為寺'''。近くには桂川を渡る佐比橋があった。 |
+ | == 歴史 == | ||
+ | 『日本後紀』806年4月15日条に[[桓武天皇]]四十九日法要を[[鳥戸寺]]・[[崇福寺]]の3寺で行った。 | ||
+ | 『類聚国史』には[[百済寺]]、[[粟倉寺]]と共に綿100斤を与えられた記事がある。 | ||
+ | 『三代実録』によると865年、佐比寺の恵照が疫神祭を行った。 | ||
+ | (『日本歴史地名大系』) | ||
[[category:京都府]] | [[category:京都府]] |
2019年6月22日 (土) 時点における最新版
佐比寺は、平安京郊外の賽の河原にあった古代寺院。道祖大路(佐比大路、佐井通)を南に延長し桂川と交わるところがいわゆる「賽の河原」とされたといい、その周辺にあったという。現在の京都府京都市南区の「塔ノ森」のあたりか。佐為寺。近くには桂川を渡る佐比橋があった。
歴史
『日本後紀』806年4月15日条に桓武天皇四十九日法要を鳥戸寺・崇福寺の3寺で行った。 『類聚国史』には百済寺、粟倉寺と共に綿100斤を与えられた記事がある。 『三代実録』によると865年、佐比寺の恵照が疫神祭を行った。 (『日本歴史地名大系』)