ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
信濃・安楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年9月17日 (木)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | + | '''安楽寺'''(あんらくじ)は、長野県上田市にある[[観音信仰]]・[[薬師信仰]]の[[曹洞宗]]寺院。全国唯一の'''八角三重塔'''がある。'''別所観音'''。(参考 同名寺院[[安楽寺]]) | |
+ | 天平年間に[[行基]]が温泉を見つけて[[薬師如来]]を祭り、安楽寺、[[信濃・長楽寺|長楽寺]]、[[信濃・常楽寺|常楽寺]]を建てたのが始まりとされる。安楽寺は禅、長楽寺は[[真言宗]]、常楽寺は[[天台宗]]となったが、長楽寺は廃絶した。 | ||
天長2年(825)、近隣で噴火があり大きな被害が出たため、朝廷は[[円仁]]と明福を派遣。二人が火口で修法したところ、観音と薬師が出現。 | 天長2年(825)、近隣で噴火があり大きな被害が出たため、朝廷は[[円仁]]と明福を派遣。二人が火口で修法したところ、観音と薬師が出現。 | ||
円仁によって大悲閣が創建され、明福によって瑠璃殿が建てられた。 | 円仁によって大悲閣が創建され、明福によって瑠璃殿が建てられた。 | ||
- | 安和2年(969)、平維茂が[[戸隠山]] | + | 安和2年(969)、平維茂が[[戸隠山]]の鬼退治のために祈願。その霊験に応えるために伽藍を寄進したが、八角塔はこのときに建てられたとされる(実際には現在の塔は鎌倉時代以降の物)。寿永元年(1182)、源義仲の兵火により焼失。建長4年(1252)、北条時頼は大悲閣を修造させる。弘安9年(1288)、北条貞時は樵谷惟仙を招聘し、中興開山とし、曹洞宗とした。八角塔もこのときの建造と考えられている。[[織田信長]]に寺領を没収されたが、江戸時代に松代藩初代真田信之から寄進され、復興した。(金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』) |
- | |||
- | |||
- | |||
- | |||
- | |||
- | |||
[[category:長野県]] | [[category:長野県]] |
2015年9月17日 (木) 時点における最新版
安楽寺(あんらくじ)は、長野県上田市にある観音信仰・薬師信仰の曹洞宗寺院。全国唯一の八角三重塔がある。別所観音。(参考 同名寺院安楽寺)
天平年間に行基が温泉を見つけて薬師如来を祭り、安楽寺、長楽寺、常楽寺を建てたのが始まりとされる。安楽寺は禅、長楽寺は真言宗、常楽寺は天台宗となったが、長楽寺は廃絶した。
天長2年(825)、近隣で噴火があり大きな被害が出たため、朝廷は円仁と明福を派遣。二人が火口で修法したところ、観音と薬師が出現。 円仁によって大悲閣が創建され、明福によって瑠璃殿が建てられた。
安和2年(969)、平維茂が戸隠山の鬼退治のために祈願。その霊験に応えるために伽藍を寄進したが、八角塔はこのときに建てられたとされる(実際には現在の塔は鎌倉時代以降の物)。寿永元年(1182)、源義仲の兵火により焼失。建長4年(1252)、北条時頼は大悲閣を修造させる。弘安9年(1288)、北条貞時は樵谷惟仙を招聘し、中興開山とし、曹洞宗とした。八角塔もこのときの建造と考えられている。織田信長に寺領を没収されたが、江戸時代に松代藩初代真田信之から寄進され、復興した。(金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』)