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信濃・安楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2015年2月17日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
天平年間に行基が温泉を見つけて薬師如来を祭り、安楽寺、長楽寺、常楽寺を建てたのが始まりとされる。安楽寺は禅、長楽寺は真言宗、常楽寺は天台宗となったが、長楽寺は廃絶した。別所観音。曹洞宗。長野県上田市。(参考 同名寺院安楽寺)
天長2年(825)、近隣で噴火があり大きな被害が出たため、朝廷は円仁と明福を派遣。二人が火口で修法したところ、観音と薬師が出現。
円仁によって大悲閣が創建され、明福によって瑠璃殿が建てられた。
安和2年(969)、平維茂が戸隠山の鬼退治のために祈願。その霊験に応えるために伽藍を寄進したが、八角塔はこのときに建てられたとされる(実際には現在の塔は鎌倉時代以降の物)。
寿永元年(1182)、源義仲の兵火により焼失。
建長4年(1252)、北条時頼は大悲閣を修造させる。弘安9年(1288)、北条貞時は樵谷惟仙を招聘し、中興開山とし、曹洞宗とした。八角塔もこのときの建造と考えられている。
織田信長に寺領を没収されたが、江戸時代に松代藩初代真田信之から寄進され、復興した。
(金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』)