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六孫王神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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[[file:六孫王神社003.jpg|神橋と中門|thumb|500px]]
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'''六孫王神社'''(ろくそんのう・じんじゃ)は、京都府京都市南区にある[[源氏]]の祖先神'''源経基'''を祀る神社。[[京都・大通寺]]が別当だった。
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== 歴史 ==
[[file:都名所図会・六孫王神社.jpg|thumb|500px|六孫王神社の社殿周辺部(都名所図会)]]
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[[file:都名所図会・遍照心院.jpg|thumb|500px|江戸時代の大通寺境内。六孫王神社が中心にあった。(都名所図会)]]
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'''六孫王神社'''(ろくそんのう・じんじゃ)は、京都府京都市南区にある[[源氏]]の祖先神'''源経基'''を祀る神社。[[京都・大通寺]]が別当だった。
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*10世紀:貞純親王が邸宅を構える。桃園邸という(桃園邸は定説では上京区にあった邸宅を指す)
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*961年11月4日:源経基死去。埋葬される。子の源満仲が霊廟を建てて父の霊を祀ったという。
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*鎌倉時代初期:[[京都・大通寺]]が創建され、六孫王神社の別当となる。
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*1398年7月24日:火災で焼失。足利義満が再建。
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*1702年4月:徳川幕府により再興
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*1707年:御旅所設置。神輿寄進。
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*明治初年:神仏分離
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*1886年:修復
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2023年1月15日 (日) 時点における版

神橋と中門

六孫王神社(ろくそんのう・じんじゃ)は、京都府京都市南区にある源氏の祖先神源経基を祀る神社。京都・大通寺が別当だった。

歴史

六孫王神社の社殿周辺部(都名所図会)
江戸時代の大通寺境内。六孫王神社が中心にあった。(都名所図会)
  • 10世紀:貞純親王が邸宅を構える。桃園邸という(桃園邸は定説では上京区にあった邸宅を指す)
  • 961年11月4日:源経基死去。埋葬される。子の源満仲が霊廟を建てて父の霊を祀ったという。
  • 鎌倉時代初期:京都・大通寺が創建され、六孫王神社の別当となる。
  • 1398年7月24日:火災で焼失。足利義満が再建。
  • 1702年4月:徳川幕府により再興
  • 1707年:御旅所設置。神輿寄進。
  • 明治初年:神仏分離
  • 1886年:修復

資料

  • 「六孫王権現社旧縁起」:『六孫王権現社古縁起』所収。
  • 「六孫王権現社新造営記」:『六孫王権現社古縁起』所収。
  • 「六孫王権現社縁起」:『神道大系』所収。
  • 「六孫王権現社仮遷宮記」:『神道大系』所収。
  • 「六孫王権現社正遷宮記」:『神道大系』所収。
  • 富岡鉄斎1887「六孫王神社略記」(西尾市岩瀬文庫蔵)
  • 氷室銑之助1921「六孫王神社由緒略記」
  • 藤沢彰1985「六孫王神社の元禄度造営について」『学術講演梗概集』
  • 髙橋昌明2013「六孫王神社は源経基邸を起源とするか」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%85%AD%E5%AD%AB%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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