ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
六条天皇の陵墓。1176年(安元2年)7月17日に崩御。清閑寺の御堂に葬られた。 江戸時代には、清閑寺は衰退し、御堂も消滅したが、文久の修陵の際には、境内北側に平坦地があり、「法華堂」と通称されていたことから、谷森はここを天皇陵だとして比定した。文久山陵図230