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円勝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
円勝寺
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[[file:平安京復元模型・平安京創生館・岡崎-円勝寺.jpg|thumb|500px|円勝寺(平安京復元模型・平安京創生館展示)]] [[file:平安京復元模型・平安京創生館-六勝寺.jpg|thumb|500px|六勝寺(平安京復元模型・平安京創生館展示)]] [[file:平安京復元模型・平安京創生館-六勝寺2.jpg|thumb|500px|六勝寺(平安京復元模型・平安京創生館展示)]] '''円勝寺'''(えんしょうじ)は、[[平安京]]郊外の[[白河殿]]に付属した[[待賢門院]]の[[御願寺]]。本尊は[[大日如来]]。[[天台宗]]。[[六勝寺]]の一つ。現在の京都市美術館のあたりにあった。北には[[京都・最勝寺]]、東には[[法勝寺]]、西には[[成勝寺]]、南には[[証菩提院]]と[[善勝寺]]があった。 [[鳥羽天皇]]中宮の待賢門院藤原璋子が1128年(大治3年)に創建。実質的には白河法皇が建てたという。まず金堂に先立って東塔三重塔が1126年(大治1年)3月7日に竣工。落慶法要には白河法皇、鳥羽上皇、待賢門院が隣席。翌年1月12日には、中塔となる五重塔を建立。さらに3月19日には西塔が完成。そして1128年(大治3年)3月13日に金堂や五大堂が落慶した。金堂には本尊の二丈の大日如来像、丈六四仏、両界曼荼羅が祀られた。1131年(天承1年)1月11日に六時堂という伽藍が建てられた。1185年(文治1年)7月9日の地震で被災。1219年(承久1年)4月2日の火災で伽藍焼失。以後、再建の動きが確認できるが不詳。南北朝時代までは寺院機能があったが、応仁の乱で廃絶したと伝える。1970年(昭和45年)の発掘調査で東塔跡などを検出。大量の瓦が出土した。美術館北側の二条通りに記念碑がある。 (国史大辞典、日本歴史地名大系) ==組織== 別当、執行、長吏など職名がみえる。円勝寺寺務執行を[[妙法院門跡]]が兼務していたとも。 <gallery widths="300" heights="300" perrow="2"> ファイル:円勝寺・石碑-01.jpeg ファイル:円勝寺・石碑-02.jpeg </gallery> [[category:京都府]]
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