ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
出雲大社教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
出雲大社教
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
'''出雲大社教'''(いずも・おおやしろ・きょう)は、島根県出雲市に本部を置く[[出雲大神]]を奉斎する[[教派神道]]教団。[[出雲大社]]を崇祠と仰ぎ、母体とする。'''千家尊福'''が設立した。[[出雲国造]][[千家家]]による教団。本部事務所を'''教務本庁'''と呼称する。別に国造北島家による教団として[[出雲教]]がある。[[出雲大社関連旧跡]]も参照。 ==歴史== *1872年(明治5年):祖霊社創建。 *1873年(明治6年)1月:出雲大社宮司・神道教導職西部管長の千家尊福、出雲大社敬神講を設立(『出雲大神』)。 *1873年(明治6年):高松教会、創設。[https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02FdYb4xxeDp8Nm6fKDpSgiJYjHPoUB1WpzMLNHzfKM36Z4XxmEVnvQitfjRwNoZ5Jl&id=706466626210406] *1876年(明治9年)5月17日:規約を定め組織を整備し、出雲大社教会と改称。社務所に教務課を設置し、神道中教院を庁舎に置く。(『出雲大神』) *1877年(明治10年)8月:美甘政和、神道事務局内に出雲大社教会所を仮設。のちの美作分院。(「千家尊福国造伝」[http://izumo-studies.info/articles/takatomiden/article/epilogue_3]) *1878年(明治11年)1月11日:[[神田神社]]社務所に大社教会東京出張所設置。(『出雲大神』。祝詞には12月1日とある[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815970/46]) *1879年(明治12年):大社教本院を社務所から隣接地に新築、神霊を祀る(『出雲大神』、教派連HP)。 *1879年(明治12年):隠岐の西郷教会設立。 *1880年(明治13年)3月:岡山天瀬可真町に出雲大社仮出張所を開設。のちの岡山分院。(『岡山市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261486/96]、『岡山市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2991745/164]) *1881年(明治14年):山口県に田万崎教会所設立。のちの周防分院。(『角川日本地名大辞典』) *1881年(明治14年)5月:平岡可美、高知市本町筋に神霊を奉斎。1882年(明治15年)4月升形に遷座して高知教会所と称した。(『大豊町史近代現代編』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11517118/6]、1919『高知市史』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E9%AB%98%E7%9F%A5%E5%B8%82%E5%8F%B2/LReqvVfugfgC?hl=ja&gbpv=1&pg=PA235]) *1882年(明治15年)1月24日:神官教導職分離 *1882年(明治15年)3月:千家尊福、出雲大社宮司を辞任。(『神道事典』)。 *1882年(明治15年)4月4日:東京出張所を麹町区上二番町47番地に移転(『出雲大神』)。設立主意書[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2263677/15] *1882年(明治15年)5月8日:本院に大社教祠宇を設けて本祠と称す。(『出雲大神』) *1882年(明治15年)5月10日:神道大社派、独立。千家尊福が初代管長となる。(『出雲大神』) *1882年(明治15年)11月6日:「神道大社教」と改称(『出雲大神』) *1882年(明治15年)12月12日:東京出張所を「神道大社教本院東京出張所」と称す。(『出雲大神』) *1882年(明治15年)12月15日:美作分院、鎮座祭。(「千家尊福国造伝」[http://izumo-studies.info/articles/takatomiden/article/epilogue_3]) *1883年(明治16年)5月4日:東京出張所に祠宇を設け、「大社教東京分祠」と称す(『出雲大神』)。祝詞[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815970/55]。宮内省より200円下賜(『公文類聚』[https://www.digital.archives.go.jp/item/2446186.html])。 *1883年(明治16年)2月16日:平岡可美、大滝教会所設立。(『大豊町史近代現代編』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11517118/6]) *1884年(明治17年)7月24日:「神道大社教教規」を定めて申請。(『出雲大神』) *1884年(明治17年):[[東京・野見宿禰神社]]を創建。 *1885年(明治18年)5月:副管長に金子本居を任命。(『出雲大神』) *1886年(明治19年)1月3日:十津川郷、大社教入会式(『十津川記事下』) *1886年(明治19年)8月7日:内務省、「大社教教規」を認可(『改正神道教規大全』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815611/167])。 *1888年(明治21年):草山貞胤、相模国の渋沢峠に出雲大神を奉祀。相模分祠の前身。([https://www.izumosan.com/history.html]) *1889年(明治22年):東京出張所、麻布区材木町に移転。 *1891年(明治24年)5月14日:大社教、ロシア皇太子襲撃事件(大津事件)に際して佐々木幸見を神戸に派遣してロシア大使に見舞すると共に、皇太子平癒と国家安全の祈祷を本院と東京出張所で斎行。15日には分院および教会所に同様の祈祷を命じる。(官報[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945625/2]) *1891年(明治24年)9月2日:山口分院、設立。(『山口市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9575180/528]) *1891年(明治24年)9月:高知教会所、土佐分院に昇格。(『大豊町史近代現代編』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11517118/6]) *1895年(明治28年)1月:高梁備中分院設立[https://www.google.co.jp/books/edition/%E4%B8%8A%E6%88%BF%E9%83%A1%E8%AA%8C/svbN86WVFMEC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP1173&printsec=frontcover]。 *1895年(明治28年)1月24日:政府、千家尊愛・千家尊弘・平田盛胤に[[有栖川宮]]熾仁親王の葬儀の斎主を命じる。(『任免裁可書』[https://www.digital.archives.go.jp/item/2648419]) *1895年(明治28年)11月5日:政府、千家尊愛・千家尊弘・平田盛胤に[[北白川宮]][[能久親王]]の葬儀の斎主などを命じる。(『任免裁可書』[https://www.digital.archives.go.jp/item/2766845]) *1895年(明治28年)12月27日:内務省、「大社教教導職検定条規」を認可(『改正神道教規大全』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815611/175])。 *1896年(明治29年)12月27日:政府、千家尊愛・千家尊弘・平田盛胤に毛利元徳の葬儀の斎主などを命じる。(『任免裁可書』[https://www.digital.archives.go.jp/item/2649557]) *1896年(明治29年)5月24日:佐賀分院設立[https://www.google.co.jp/books/edition/%E4%BD%90%E8%B3%80%E5%B8%82%E8%AA%8C/IxOHahyWSVMC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP188&printsec=frontcover]。 *1897年(明治30年)2月:西坂彦三郎ら、浜田教会所を設立。(『浜田市誌』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9572742/115]) *1897年(明治30年)5月25日:広瀬玄〓、福岡分院を設立(『太宰府名所誌』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E5%BA%9C%E5%90%8D%E6%89%80%E8%AA%8C/x90YAAAAYAAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT25&printsec=frontcover])。 *1900年(明治33年):田万崎教会所、長門分院に昇格。(『角川日本地名大辞典』) *1902年(明治35年)10月17日:福岡分院内に福岡図書館開館(1917年(大正6年)まで)(「福岡県における近代図書館の嚆矢」[http://id.nii.ac.jp/1268/00000478]) *1903年(明治36年):浜田教会所、石見分院に昇格。(『浜田市誌』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9572742/115]) *1904年(明治37年):松山珵三、満洲布教にため関東州大連に渡る。 *1906年(明治39年)3月:宮王勝良、ハワイに渡り、布教開始。(「千家尊福国造伝」[http://izumo-studies.info/articles/takatomiden/article/epilogue_5]、『日布時事布哇年鑑』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E6%97%A5%E5%B8%83%E6%99%82%E4%BA%8B%E5%B8%83%E5%93%87%E5%B9%B4%E9%91%91/kzU-jLsHpggC?hl=ja&gbpv=1&pg=RA1-PA179&printsec=frontcover]) *1908年(明治41年)7月:松山珵三、関東分院(のち満洲分院)を設立(『関東州事情上』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E6%83%85/C94aEFDnU0kC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP487&printsec=frontcover])。 *1909年(明治42年):宮王勝良、大社教ハワイ教会所設立。 *1910年(明治43年)9月23日:北海道に移住した奈良県・十津川郷出身者が新十津川分院を設立。 *1911年(明治44年)1月1日:[[出口王仁三郎]]、出雲大社を訪問。教会設立申請のため。[http://www.hi-ho.ne.jp/s_date/susanoo/ssNenpyou/nenpyo2t03.htm] *1911年(明治44年)1月26日:出口王仁三郎、大社教本宮教会本院を設置。[http://www.hi-ho.ne.jp/s_date/susanoo/ssNenpyou/nenpyo2t03.htm] *1915年(大正4年)7月:松山珵三、大社教を辞め、[[産霊教]]を立てる(大陸に勢力を伸ばす)。 *1916年(大正5年)8月:島地教会所、周防分院に昇格(『防長風土記』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3046216/664]) *1916年(大正5年)12月12日:政府、千家尊弘・千家尊有・竹崎嘉通に大山巌の葬儀の斎主などを命じる。(『任免裁可書』[https://www.digital.archives.go.jp/item/2692598]) *1917年(大正6年):出雲大社樺太分祠を設置。松崎禅魯の敬神愛国会が前身。 *1918年(大正7年)1月3日:千家尊福死去。 *1918年(大正7年)3月26日:ハワイ教会所、ハワイ分院に昇格。([http://izumo-studies.info/articles/takatomiden/article/epilogue_5]、『日布時事布哇年鑑』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E6%97%A5%E5%B8%83%E6%99%82%E4%BA%8B%E5%B8%83%E5%93%87%E5%B9%B4%E9%91%91/kzU-jLsHpggC?hl=ja&gbpv=1&pg=RA1-PA179&printsec=frontcover]) *1918年(大正7年)6月:千家尊有、告諭文「在布哇並在米国の信徒に告ぐ」を発す。([http://izumo-studies.info/articles/takatomiden/article/epilogue_5]) *1920年(大正9年)11月29日:文部省、「大社教教師検定条規」改正を認可(『官報』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954614/7]) *1921年(大正10年)7月28日:文部省、「大社教教規教師服制」制定を認可(『官報』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954814/6]) *1932年(昭和7年):特立50年祝祭 *1934年(昭和9年)1月11日:文部省、「大社教教師検定条規」改正を認可(『官報』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958580/9]) *1938年(昭和13年):大社国学館設立。 *1940年(昭和15年):神戸教会所、大教会(分院)に昇格(神戸分祠ウェブサイト[https://www.izumo-kobe.jp/cont8/main.html]) *1941年(昭和16年)3月31日:文部省、宗教団体法に基づく教規を認可。(「文部省大臣官房総務課記録班分類文書」[https://www.digital.archives.go.jp/item/3813268]) *1941年(昭和16年)12月7日:真珠湾攻撃当日、ハワイ分院の宮王重丸、拘束される。分院は解散となる。(「千家尊福国造伝」[http://izumo-studies.info/articles/takatomiden/article/epilogue_5]) *1943年(昭和18年)8月17日:文部省、教規一部変更を認可。(「文部省大臣官房総務課記録班分類文書」[https://www.digital.archives.go.jp/item/3813264]) *1945年(昭和20年)6月:文部省、教規一部変更を認可。(「文部省大臣官房総務課記録班分類文書」[https://www.digital.archives.go.jp/item/3813271]) *1945年(昭和20年)5月20日:空襲で東京出張所が焼失。 *1946年(昭和21年):宗教法人令による法人。出雲大社教(いずもたいしゃきょう)と改称。 *1948年(昭和23年):大社国学館廃止。 *1949年(昭和24年)8月:全国主管者会議で出雲大社への合併を決議。 *1950年(昭和25年):神戸分院、神戸分祠に昇格。(神戸分祠ウェブサイト[https://www.izumo-kobe.jp/cont8/main.html]) *1951年(昭和26年)3月31日:出雲大社規則、変更登記。 *1952年(昭和27年)5月27日:大社教を解散し、新たに出雲大社教(いずもおおやしろきょう)を設立。この日宗教法人法による法人認証(宗教法人出雲大社教規則)。代表役員はこの時点では国造(のち管長になる) *1952年(昭和27年)9月1日:出雲大社教教規を制定。 *1953年(昭和28年)5月:出雲大社拝殿焼失。 *1956年(昭和31年)4月:大社国学館復興 *1957年(昭和32年):河内教会、大阪分祠に昇格。 *1961年(昭和36年)12月31日:東京分祠、再建。 *1962年(昭和37年):特立80年祝祭 *1964年(昭和39年)6月20日:出雲大社教教規を一部改訂。 *1968年(昭和43年)6月22日:出雲大社教教規を一部改訂。 *1968年(昭和43年)12月:ハワイ分院、再建。(「千家尊福国造伝」[http://izumo-studies.info/articles/takatomiden/article/epilogue_5]) *1970年(昭和45年):祖国復帰を記念して沖縄分社創建。 *1973年(昭和48年):福山分院、福山分祠に昇格。([http://yukihiro3534.blog.fc2.com/blog-entry-265.html]) *1980年(昭和55年)12月4日:東京分祠、コンクリート造で再建。 *1981年(昭和56年):設立100年記念に神楽殿を造営。 *1982年(昭和57年):特立100年みかえし奉祝大祭 *1982年(昭和57年)3月29日:出雲大社教教規を一部改訂。 *1983年(昭和58年)6月9日:出雲大社教教規および宗教法人出雲大社教規則を一部改訂。 *1991年(平成3年):相模分院、相模分祠に昇格。([https://www.rockstream-jp.com/201808-goshuin-izumotaishasagami/][https://www.travel.co.jp/guide/article/7851/]) *2007年(平成19年):鶴山会館跡に島根県神社庁庁舎竣工。 *2012年(平成24年):特立130年祈りを継ぐ帰一大祭 *2014年(平成26年)9月16日:常陸教会が離脱 ==一覧== ===本部関連=== *[[出雲大社]]:教団の「崇祠」。 *[[出雲大社教神楽殿]]: *[[出雲大社教祖霊社]]: ===教会・関連神社=== 戦前は分祠、分院、教会(教会所)の序列があったと思われ、戦後は分祠、分院(宗教法人名は「大教会」を用いる)、教会、支教会の序列があると思われる。 ===分祠=== *[[樺太出雲神社]]:1907年(明治40年)7月、松崎禅魯が敬神愛国会を設立して社殿を造営し、出雲大社東京分祠の分霊を祀った。1917年(大正6年)出雲大社樺太分祠となるが、1923年(大正12年)10月20日に樺太庁公認の神社として樺太出雲神社となった。 *[[出雲大社東京分祠]]:東京都港区六本木。[[祠宇]] *[[出雲大社相模分祠]]:神奈川県秦野市平沢。 *[[出雲大社近江分祠]]:滋賀県大津市和邇北浜。 *[[出雲大社与謝分祠]]:京都府与謝郡与謝野町三河内。旧称は巌分祠。 *[[出雲大社高津分祠]]:大阪府大阪市天王寺区城南寺町。 *[[出雲大社大阪分祠]]:大阪府堺市堺区日置荘西町。 *[[出雲大社阪神分祠]]:兵庫県尼崎市北大物町。 *[[出雲大社神戸分祠]]:兵庫県神戸市中央区楠町。 *[[出雲大社石見分祠]]:島根県浜田市田町。 *[[出雲大社福山分祠]]:広島県福山市野上町。 *[[出雲大社広島分祠]]:広島県安芸郡府中町山田。 *[[出雲大社高松分祠]]:香川県高松市室新町。 *[[出雲大社松山分祠]]:愛媛県松山市本町。 *[[出雲大社土佐分祠]]:高知県高知市升形。 *[[出雲大社沖縄分社]]:沖縄県那覇市古島。 ===分院(戦前)=== *[[出雲大社東京分祠|東京出張所]]:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。東京都港区六本木。 *大阪分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *石見分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *鳥取分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *岡山分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *美作分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *備中分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *備後分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *長門分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。山口県萩市田万川。現存不詳。 *山口分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *周防分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *高松分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *松山分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *徳島分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *土佐分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *福岡分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *豊後分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *長崎分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *名古屋分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *越後分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *豊橋分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *上総分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *下野分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。[[祠宇]]か。 *浜松分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *福島分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *布哇分院:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。 *[[神道大社教関東分院|満洲分院]]:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。関東州大連市神明町。関東分院。廃絶。 *朝鮮布教管理所:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。廃絶。 *[[樺太出雲神社|樺太分祠]]:1939(昭和14)『宗教年鑑』記載。樺太庁大泊支庁大泊郡大泊町大泊本町。廃絶。 ===教会一覧(戦後)=== *1994年(平成6年)8月6日に出雲大社教が国造家の墓地を修復したときの碑文より {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|記載順 !style="width:13%;"|名称 !style="width:7%;"|種別 !style="width:30%;"|所在地 !style="width:45%;"|備考 |- |105 |東京分祠 |分祠 |東京都港区六本木7丁目18-5 |明治創建。 |- |39 |相模分祠 |分祠 |神奈川県秦野市平沢1221 | |- |108 |近江分祠 |分祠 |滋賀県大津市和邇北浜584 | |- |112 |巌分祠 |分祠 |京都府与謝郡与謝野町三河内146 | |- |77 |大阪分祠 |分祠 |大阪府堺市東区日置荘西町7丁1-1 | |- |15 |阪神分祠 |分祠 |兵庫県尼崎市北大物町17-5 | |- |113 |神戸分祠 |分祠 |兵庫県神戸市中央区楠町1丁目2-1 | |- |116 |石見分祠 |分祠 |島根県浜田市田町108 | |- |22 |福山分祠 |分祠 |広島県福山市野上町3丁目8-12 | |- |94 |高松分祠 |分祠 |香川県高松市室新町1138 | |- |128 |松山分祠 |分祠 |愛媛県松山市本町3丁目5-5 | |- |62 |土佐分祠 |分祠 |高知県高知市升形5-29 | |- |34 |新十津川大教会 |大教会 |北海道樺戸郡新十津川町字中央32-9 | |- |101 |弘前大教会 |大教会 |青森県弘前市大字常盤坂2丁目3-21 | |- |40 |浜松大教会 |大教会 |静岡県浜松市中区城北1丁目1-13 | |- |8 |名古屋大教会 |大教会 |愛知県名古屋市 | |- |41 |豊橋大教会 |大教会 |愛知県豊橋市花中町171 | |- |14 |京都大教会 |大教会 |京都府亀岡市下矢田町中山37-5 | |- |12 |大阪大教会 |大教会 |大阪府大阪市東住吉区山坂5丁目16-7 | |- |110 |高津大教会 |大教会 |大阪府大阪市天王寺区城南寺町8-8 | |- |49 |鳥取大教会 |大教会 |鳥取県鳥取市川端2丁目209 | |- |82 |倉吉大教会 |大教会 |鳥取県倉吉市新町3丁目2308 | |- |19 |岡山大教会 |大教会 |岡山県岡山市中山下1丁目5-58 | |- |52 |備中大教会 |大教会 |岡山県高梁市下町129 | |- |117 |美作大教会 |大教会 |岡山県津山市田町87 | |- |55 |備後大教会 |大教会 |広島県三次市三良坂町三良坂2674 | |- |58 |長門大教会 |大教会 |山口県萩市大字下田万1924 | |- |123 |山口大教会 |大教会 |山口県山口市吉敷4254 | |- |127 |讃岐大教会 |大教会 |香川県三豊市豊中町比地大3142 | |- |30 |今治大教会 |大教会 |愛媛県今治市石井町1丁目3-1 | |- |63 |丹原大教会 |大教会 |愛媛県西条市丹原町 | |- |31 |福岡大教会 |大教会 |福岡県福岡市西区今宿町418-23 | |- |32 |長崎大教会 |大教会 |長崎県長崎市桜町8-5 | |- |1 |ハワイ大教会 |大教会 |アメリカ合衆国ハワイ州 | |- |2 |網走教会 |教会 |北海道網走市 | |- |35 |敬神恵紘教会 |教会 |北海道帯広市西16条南6丁目6-4 | |- |67 |興部教会 |教会 |北海道紋別郡興部町興部元町 | |- |68 |室蘭大國教会 |教会 |北海道室蘭市 | |- |100 |旭川教会 |教会 |北海道旭川市7条通13丁目右4 | |- |3 |唐牛教会 |教会 |青森県南津軽郡大鰐町大字唐牛 | |- |102 |岩手教会 |教会 |岩手県 | |- |4 |北鹿教会 |教会 |秋田県大館市比内町扇田字町後29-2 | |- |37 |大館教会 |教会 |秋田県大館市 | |- |5 |会津教会 |教会 |福島県 | |- |104 |常陸教会 |教会 |茨城県笠間市福原2001 |現在は離脱。 |- |6 |朝霞教会 |教会 |埼玉県朝霞市 | |- |103 |庚申塚教会 |教会 |東京都豊島区 | |- |72 |横須賀教会 |教会 |神奈川県横須賀市 | |- |36 |石川教会 |教会 |石川県 | |- |107 |金沢教会 |教会 |石川県金沢市 | |- |7 |富士教会 |教会 |山梨県甲府市宝1丁目21-24 | |- |42 |岐阜教会 |教会 |岐阜県 | |- |9 |中濃教会 |教会 |岐阜県 | |- |45 |天美教会 |教会 |岐阜県海津市南濃町奥条北林 | |- |75 |美濃教会 |教会 |岐阜県大垣市久瀬川町1丁目38 | |- |73 |吉永教会 |教会 |静岡県志太郡大井川町吉永841-3 | |- |106 |大仁教会 |教会 |静岡県伊豆の国市大仁 | |- |47 |都教会 |教会 |京都府京都市上京区丸太町通大宮西入一町目855-1 | |- |80 |紫野教会 |教会 |京都府京都市北区紫野門前町44-43 | |- |13 |堺榎教会 |教会 |大阪府堺市堺区 | |- |78 |阿倍野教会 |教会 |大阪府大阪市阿倍野区 | |- |111 |池田教会 |教会 |大阪府池田市綾羽2丁目2-5 | |- |28 |香美教会 |教会 |兵庫県美方郡香美町 | |- |48 |加古川教会 |教会 |兵庫県加古川市加古川町寺家町7-1 | |- |81 |長谷教会 |教会 |兵庫県佐用郡佐用町口長谷601-1 | |- |114 |日高教会 |教会 |兵庫県豊岡市日高町宵田104 | |- |11 |礫山教会 |教会 |和歌山県田辺市あけぼの10-9 | |- |44 |和歌山教会 |教会 |和歌山県 | |- |76 |新宮教会 |教会 |和歌山県新宮市神倉1丁目12-18 | |- |109 |中紀教会 |教会 |和歌山県田辺市湊916-2 | |- |17 |由良教会 |教会 |鳥取県東伯郡北栄町由良宿1187 | |- |50 |上道教会 |教会 |鳥取県境港市上道町653 | |- |83 |根雨教会 |教会 |鳥取県日野郡日野町根雨749 | |- |115 |米子教会 |教会 |鳥取県米子市博労町2丁目58 | |- |18 |西郷教会 |教会 |島根県隠岐郡隠岐の島町中町目貫の四44-1 | |- |51 |菱浦教会 |教会 |島根県隠岐郡海士町大字福井975-1 | |- |20 |木之子教会 |教会 |岡山県井原市木之子町3450 | |- |21 |久世教会 |教会 |岡山県真庭市久世1535 | |- |24 |北備教会 |教会 |岡山県 | |- |53 |野馳教会 |教会 |岡山県新見市哲西町大野部3959 | |- |85 |妹尾教会 |教会 |岡山県岡山市箕島2914 | |- |86 |倉敷教会 |教会 |岡山県倉敷市児島赤崎4丁目15-26 | |- |118 |新見教会 |教会 |岡山県新見市新見1260-1 | |- |119 |星田教会 |教会 |岡山県井原市美星町星田5259 | |- |23 |東城教会 |教会 |広島県庄原市東城町東城304 | |- |56 |比婆教会 |教会 |広島県 | |- |57 |備南教会 |教会 |広島県三原市小泉町839 | |- |88 |尾道教会 |教会 |広島県尾道市高須町3748-1 | |- |89 |大門教会 |教会 |広島県福山市大門町大門 | |- |121 |神石教会 |教会 |広島県神石郡神石高原町牧497 | |- |122 |広島教会 |教会 |広島県安芸郡府中町山田5丁目4-1 | |- |25 |周防教会 |教会 |山口県山口市徳地島地10 | |- |26 |玖珂教会 |教会 |山口県岩国市玖珂町谷津465 | |- |59 |玖西教会 |教会 |山口県岩国市周東町下久原千束149 | |- |60 |大津教会 |教会 |山口県長門市日置上古市6010-1 | |- |91 |岩国教会 |教会 |山口県岩国市立石町1丁目2?25 | |- |124 |宇部教会 |教会 |山口県宇部市宮地町16-22 | |- |125 |三丘教会 |教会 |山口県周南市大字小松原1816 | |- |61 |美馬教会 |教会 |徳島県美馬郡つるぎ町半田字逢坂174 | |- |126 |昼間教会 |教会 |徳島県三好郡東みよし町昼間3665 | |- |29 |大野原教会 |教会 |香川県観音寺市大野原町大野原6373 | |- |96 |土居教会 |教会 |愛媛県四国中央市土居町土居110-1 | |- |129 |市木教会 |教会 |愛媛県大洲市市木967 | |- |64 |屋形原教会 |教会 |福岡県福岡市南区屋形原 | |- |130 |唐津教会 |教会 |佐賀県唐津市佐志101-41 | |- |65 |庄内教会 |教会 |大分県由布市庄内町 | |- |98 |木佐上教会 |教会 |大分県大分市木佐上 | |- |131 |野津原教会 |教会 |大分県大分市野津原 | |- |99 |花ケ島教会 |教会 |宮崎県宮崎市花ケ島町 | |- |10 |淡海教会 |教会 | | |- |16 |伊勢泉教会 |教会 | | |- |27 |赤郷教会 |教会 | | |- |33 |肥州教会 |教会 | | |- |46 |正和教会 |教会 | | |- |66 |南郷教会 |教会 | | |- |74 |一宮大和教会 |教会 | | |- |84 |市原教会 |教会 | | |- |92 |山代教会 |教会 | | |- |93 |長生教会 |教会 | | |- |95 |伊勢川教会 |教会 | | |- |97 |正現教会 |教会 | | |- |69 |八戸田面木支教会 |支教会 |青森県八戸市田面木 | |- |38 |魚沼支教会 |支教会 |新潟県魚沼市 | |- |71 |伊勢支教会 |支教会 |三重県 | |- |43 |草津支教会 |支教会 |滋賀県草津市青地町 | |- |54 |神目支教会 |支教会 |岡山県久米郡久米南町下二ケ2223-1 | |- |90 |府中支教会 |支教会 |広島県府中市高木町1235 | |- |70 |津島支教会 |支教会 | | |- |79 |青玉支教会 |支教会 | | |- |87 |中井支教会 |支教会 | | |- |120 |鶴山支教会 |支教会 | | |- |133 |根室講社 |講社 |北海道根室市 | |- |142 |釧路講社 |講社 |北海道釧路市 | |- |151 |江別講社 |講社 |北海道江別市 | |- |160 |函館講社 |講社 |北海道函館市高松町327-3? | |- |134 |三本木講社 |講社 |青森県十和田市東十三番町5-8 | |- |152 |東京文京講社 |講社 |東京都文京区 | |- |161 |東京大神宝講社 |講社 |東京都国分寺市泉町1丁目11-1 | |- |159 |大阪東講社 |講社 |大阪府 | |- |150 |浪速講社 |講社 |兵庫県宝塚市川面6丁目21-5 | |- |144 |和歌山講社 |講社 |和歌山県 | |- |154 |鴨方講社 |講社 |岡山県浅口市鴨方町小坂西4327-1 | |- |163 |倉敷講社 |講社 |岡山県倉敷市 | |- |146 |広島敬神講社 |講社 |広島県広島市安佐南区山本5丁目34-19 | |- |155 |宇品敬神講社 |講社 |広島県広島市南区宇品 | |- |164 |通津長野講社 |講社 |山口県岩国市長野 | |- |139 |福岡出雲講社 |講社 |福岡県福岡市 | |- |141 |対馬玄海講社 |講社 |福岡県対馬市 | |- |147 |小倉講社 |講社 |福岡県北九州市小倉南区横代南町3- 2-1 | |- |148 |信豊講社 |講社 |福岡県北九州市八幡西区 | |- |157 |北九州志徳講社 |講社 |福岡県北九州市小倉南区志徳 | |- |166 |佐世保講社 |講社 |長崎県佐世保市 | |- |135 |名南講社 |講社 | | |- |136 |木次講社 |講社 | | |- |137 |大宝講社 |講社 | | |- |138 |宇和講社 |講社 | | |- |143 |郷見講社 |講社 | | |- |145 |波積講社 |講社 | | |- |153 |花園神明講社 |講社 | | |- |156 |神誠講社 |講社 | | |- |158 |熊代講 |講社 | | |- |162 |新山大社講社 |講社 | | |- |165 |明神山講社 |講社 | | |- |168 |越王講社 |講社 | | |- |132 |沖縄分社 |その他 |沖縄県那覇市古島1丁目16-13 | |- |140 |大和福神会 |その他 | | |- |149 |佐々木会 |その他 | | |- |167 |多幸会 |その他 | | |} ===分院(戦後)=== *[[出雲大社新十津川分院]]:北海道樺戸郡新十津川町中央。 *出雲大社弘前分院:青森県弘前市常盤坂。 *出雲大社埼玉分院:埼玉県朝霞市本町。 *出雲大社上総分院:千葉県いすみ市苅谷。 *出雲大社福井分院:福井県福井市市渕。 *出雲大社浜松分院:静岡県浜松市中区城北。 *出雲大社豊橋分院:愛知県豊橋市花中町 *出雲大社京都分院:京都府亀岡市下矢田町中山。 *出雲大社大阪分院:大阪府大阪市東住吉区山坂。 *[[出雲大社池田分院]]:大阪府池田市綾羽。 *出雲大社播磨分院:兵庫県赤穂郡上郡町上郡。 *出雲大社北條分院:兵庫県加西市北条町北条。 *出雲大社鳥取分院:鳥取県鳥取市川端。 *出雲大社米子分院:鳥取県米子市博労町。 *出雲大社倉吉分院:鳥取県倉吉市新町。 *[[出雲大社西郷分院]]:島根県隠岐郡隠岐の島町中町目貫の四。 *出雲大社岡山分院:岡山県岡山市北区中山下。 *出雲大社備中分院:岡山県高梁市下町 *出雲大社美作分院:岡山県津山市田町。 *出雲大社備後分院:広島県三次市三良坂町三良坂。 *[[出雲大社山口分院]]:山口県山口市維新公園。 *出雲大社周防分院:山口県山口市徳地島地。 *出雲大社徳島分院:徳島県徳島市藍場町 *出雲大社讃岐分院:香川県三豊市豊中町比地大。 *出雲大社丹原分院:愛媛県西条市丹原町丹原。 *出雲大社今治分院:愛媛県今治市石井町 *出雲大社福岡分院:福岡県福岡市西区今宿町。 *[[出雲大社長崎分院]]:長崎県長崎市桜町。 *[[ハワイ出雲大社]]:ハワイ分院 ===教会=== *出雲大社常陸教会:茨城県笠間市福原。出雲大社教から離脱して[[常陸国出雲大社]]となる。 *[[出雲大社富士教会]]:山梨県甲府市宝。 *[[出雲大社玉置教会]]:奈良県吉野郡十津川村玉置川。[[玉置神社]]境内。 *大滝教会所: *大社教本宮教会本院:[[出口王仁三郎]]が建てたダミー団体の一つ。 *愛知教会所:『金城寺院宝鑑』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943530/43] *[[出雲大社岩木教会]]:青森県弘前市百沢寺沢。[[岩木山神社]]参道。離脱。 *[[出雲大社新宮教会]]:和歌山県新宮市神倉。[[神倉神社]]のそばにある。 ===その他=== *[[東京・野見宿禰神社]]: *[[コッホ北里神社]]: ==組織== ===総裁・国造=== 戦前は総裁職があり、千家尊福が初代総裁につき、その後は出雲大社宮司が就いたらしい。戦後は出雲大社宮司が教団の役職としての国造職につく(当初は代表役員だった)。 === 歴代管長 === 戦後は出雲大社教統を兼務する。宗教法人の代表役員。 *1千家尊福(1845-1918)<1882-1888>:1845年(弘化2年)生。1872年(明治5年)1月、出雲大社宮司。1882年(明治15年)3月辞職して神道大社教管長。1888年(明治21年)管長辞任。東京府知事。1890年(明治23年)6月28日、大社教総裁。1918年(大正7年)死去。「たかとみ」。(略歴は[[出雲大社#組織]]を参照) *2千家尊愛(1866-1919)<1890-1918>:千家尊福の甥。1866年(慶応2年)生。1890年(明治23年)4月15日、副管長。1890年(明治23年)6月28日から1918年(大正7年)4月まで管長。1919年(大正8年)死去。「たかあき」。 *3千家尊有(1890-1954)<1918-1954>:1890年(明治23年)生。1918年(大正7年)4月10月、大社教管長。1951年(昭和26年)3月、新たな出雲大社教設立と出雲大社規則変更に伴い、出雲大社教統に就任。1954年(昭和29年)9月25日死去。「たかもち」。 *4千家尊宣(1898-1972)<1954-1963>:千家尊紀の子。1898年(明治31年)生。1920年(大正9年)[[国学院大学]]国史学科卒。大社教本院幹事、教義課長、大社教東京出張所幹事長、東京分祠長、名古屋分院長を歴任。1942年(昭和17年)[[皇典講究所]]神職養成部学監。同年、国学院大学教授。1945年(昭和20年)大社教総監。1946年(昭和21年)から1959年(昭和34年)までと、1970年(昭和45年)まで国学院大学理事。1951年(昭和26年)出雲大社権宮司。1954年(昭和29年)から1963年(昭和38年)まで出雲大社教管長。1954年(昭和29年)11月8日から1963年(昭和38年)8月12日まで出雲大社教統。1964年(昭和39年)大倉精神文化研究所理事。1971年(昭和46年)国学院大学栃木短期大学教授。神道学会を設立した。1972年(昭和47年)10月30日死去。「たかのぶ」。 *5千家達彦(1922-2015)<1963-2014>:千家尊統の子。1922年(大正11年)生。1946年(昭和21年)国学院大学史学科卒。1951年(昭和26年)出雲大社権禰宜。1963年(昭和38年)8月28日、出雲大社教統。同年、出雲大社教管長・[[大社国学館]]館長。1968年(昭和43年)9月18日から2008年(平成20年)11月30日まで[[熊野大社]]宮司を兼務。1967年(昭和42年)から1975年(昭和50年)まで島根県公安委員長。出雲大社文化事業団会長。著書『お世話になって六十年』。2015年(平成27年)死去。「みちひこ」。 *6千家隆比古()<2014->:2002年(平成14年)5月20日、出雲大社権宮司。2014年(平成26年)6月18日、管長。大社国学館館長。「ながひこ」。 ===副管長=== *本居豊穎(1834-1913)<1884-1894>:1884年(明治17年)9月(1885年(明治18年)5月とも。『出雲大神』)から1894年(明治27年)11月2日まで神道大社教副管長。(略歴は[[本居家#歴代]]を参照) *金子有卿(1845-1923)<1884-1890>:[[男爵]]。[[物部神社]]社家の出身。1845年(弘化2年)生。金子有久の次男。1864年(元治1年)7月、47代石見国造に就任。明治初年、川合国漢塾を開く。1875年(明治8年)9月、華族に列す。1884年(明治17年)7月8日、男爵。1884年(明治17年)(1885年(明治18年)5月とも。『出雲大神』)から1890年(明治23年)5月まで大社教副管長。1890年(明治23年)から1911年(明治44年)まで貴族院議員。1891年(明治24年)宮内省御歌所講頌。1902年(明治35年)皇典講究所礼典調査会委員。1923年(大正12年)1月死去。 *千家尊愛(1866-1919)<1890-1890>:1890年(明治23年)4月15日から6月28日まで副管長。 *千家尊弘()<1913->:1913年(大正2年)8月6日、副管長。 *千家尊建(1890-1945)<>: ===歴代総監=== *千家尊建(1890-1945)<>:『光は日本から』。東京出張所長。 *千家尊宣(1898-1972)<1945->:4代管長。 *千家尊祐(1943-)<1982->:84代出雲国造。出雲大社宮司。1982年(昭和57年)、出雲大社権宮司・出雲大社教総監。 *千家隆比古()<>:6代管長。 [[category:団体]]
出雲大社教
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ